クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

クリスチャンの成長(26)新しい命に生きる-4

  クリスチャンは新しい命を与えられています。この命は永遠の命とも呼ばれます。この命をいただくと私たちの身に何が起きるのでしょうか。私たちは神さまとの交わりに生きるようになります。

 たとえば聖書を読み、そこから神さまの語りかけを聞くことができるようになります。神の語りかけといっても神の声を直接聞くわけではなく、これが神さまの御心かな、っと思うものを心で聞きます。そしてこの神さまの御心に従って生きるようになります。私たちは自分の考え、自分の思いだけで生きるのではなく、自分を導く神さまの声を大切にするようになります。

 また神さまに祈るようになります。祈りといっても、ただ願いごとを神に知らせるだけではありません。祈りは神さまとの対話です。私たちは神に語りかけます。自分の思い、気持ちを伝えます。祈ったらすぐに神の応答が聞こえてくるわけではありません。私自身は、聖書を読み、思いめぐらす中で、あゝ、神さまから答えが与えられたなと思うことがよくあります。

 私は聖書を読む前に、神さまを賛美します。神さまを賛美することは私の信仰を強めてくれるように思います。讃美歌の歌詞は聖書と違い神の言葉ではありませんが、信仰の言葉は励ましを与えてくださいます。

 以上のように個人的に聖書を読み、祈り、賛美するという信仰者の行為は、新しい命、永遠の命を与えられるからできることです。そして教会での礼拝です。信仰を同じくする人たちとの礼拝。礼拝する喜びがあります。命を与えられているからこそ、礼拝が喜びとなり、神と向き合います。

 そして、この神との交わりは、私たちの死を越えて続いていきます。信仰者と神との交わりに終わりはありません。それ故、神さまから与えられた命は永遠の命と呼ばれます。

コリント一 13:12
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのとき
には、顔と顔とを合わせて見ることになる。

 今私たちが神さまとの交わりをもつといっても、それは鏡におぼろに映ったものを見ているようなもどかしさ、あやふやさがあります。しかし神さまとの交わりに生きる努力をするから、顔と顔を合わせて神さまにお会いする神の国に迎えられることを待ち望むようになります。

 

f:id:holala:20200730210454j:plain

ひまわり 散歩道