ロマ書の6章1~11節は罪からの救いを考える上でとても重要です。
ローマ 6:3~4
それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
私たちは洗礼を受け、キリストに結ばれました。キリストに結ばれたので、キリストに起きたことは私たちにも起きたことになります。「あずかる」は共有するとの意味です。私たちはキリストの死にあずかり私たちも死んだのです。キリストの死にあずかることが2回語られ、「共に葬られ」で死んだことは確定的なことだと告げられます。
そして私たちはキリストの復活にあずかり、私たちも新しい命に生きることになったと書かれています。しかも「キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように」とあります。神はキリストを死者の中から復活させるという大いなる力を発揮されました。キリストの復活において、神はその栄光を現されたのです。この神の大いなる力によって私たちも新しい命に生きる者とされたというのです。
キリストと共に死んだということは、私たちも罪の支配する領域・領土から離れ、神の支配する領域・領土に移されたことを意味します。
ローマ 6:8
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。
キリストを信じ洗礼を受けた私たちは、新しい命に生きます。キリストと共に生きることになりました。
「キリストと共に生きる」ことは気持ちの問題ではありません。つまり私たちはキリストを信じたのだから、これまでと違って、キリストが共にいてくださると信じて、信仰者として生きていこうという気持ちの変化、意識の変化ではありません。
キリストを復活させた神の大いなる力が私たちにも及び、私たちはキリストと共に生きる者にされたというのです。私たちは罪が支配する領域から、神が支配する領域に移されたのです。これは私たちの身に起きたことなのです。
コロサイ 1:13
御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。
私たちは「闇の力」つまり罪が支配する領域・領土から救い出され、「御子の支配」つまり神が支配する領域・領土に移されたのです。神が支配する領域・領土は「恵みの支配」(ローマ6:14)とも呼ばれます。
6:10
キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。
キリストは復活して天に上げられました。キリストが「神に対して生きている」とは、キリストは天、つまり神の栄光の満ちた領域・領土で生きているという意味です。
ローマ 6:11
このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
神に対して生きるとは、神を信じて生きるという意味ではなく、神の御支配の領域・領土で生きることを意味します。キリストは復活し神の栄光の領域・領土で神と共に生きておられるように、私たちも神の御支配する領域・領土で今生きることを意味します。私たちは御子の支配の中を生きるようにされたのです。
11節の最後「考えなさい」です。このように考えなさいとパウロは命じています。キリストと共に死に、キリストと共に生きるという神の救いの出来事は、自分の身に起きた出来事だと考えなさいというのです。
「そんなこと分からない」「信じられない」と人は言うかも知れません。でもまず、そう「考えなさい」と言うのです。このように考えて生きていくとこのことが本当だということが次第に分かってくるようになります。
このように考えることから、神の救いの出来事が私たちの身に始まっていきます。つまり罪の支配からの解放が具体的に始まっていきます。