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隠退牧師 holala によるブログ

肉とは何か

(クリスチャンの成長(75)キリストに結ばれて-33)

 新約聖書、とくにパウロの手紙に「肉」という言葉がでてきます。この言葉は大切です。

1.聖書から

ガラテヤ 5:16
わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

ガラテヤ 5:17
肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。

ローマ 8:5~8
肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。

 2.肉とは、何か

 これらを読むと「肉」というものが重要であることが分かります。ロマ書の言葉からすれば。信仰者といえども肉の支配下にあれば神に喜ばれないとあります。「肉とは生まれながらの人間が持つ性質」のことを言います。

3.聖書における実例

 肉に従って、肉の望むところに従って歩んだ人間が聖書の中に登場します。

 アダムとエバは、エデンの園の中央にある善悪の知識の実を食べることを神に禁じられました。エバが蛇と出会うまで彼らは神の言葉に従っていました。しかし蛇が「木の実を食べても死ぬことはない」「これを食べると賢くなる」と言った途端、エバの心には、「食べたい」との思い(欲)が生じました。賢くなって何が悪いのか、自分のしたいことをして何がいけないのか、自分は自由な人間である、そう思ってエバは木の実を食べ、アダムにも勧めました。自分の思い通りにしたい、自分の行動について人からとやかく言われたくない、というのは人間の生まれながらの性質、つまり肉によるものです。

 イスラエルの王ダビデは、宮殿の屋上からきれいな女性が水浴びしている姿を見ました。すると彼は彼女のもとに家来を遣わし、彼女を呼び寄せ、彼女と関係を持ったのです。欲情に駆られたのです。彼女が身ごもったと知ると、自分を守るために、彼女の夫を戦場で戦死するように部下に命じます。自分が姦淫を犯したことが露見しないように彼女の夫を殺したのです。欲情に駆られる、保身のために行動する、これも「肉」に従う行動です。自分の欲望通りに生きていきたい、保身に走る、これは人間の生まれながらの性質、つまり肉によるものです。

 イエス様が語った善いサマリア人のたとえ。強盗に襲われ傷ついた旅人が半殺しにされ道路に倒れていました。そこを通りかかる祭司そしてレビ人は、傷ついた旅人を見ましたが、見殺しにしました。助けなかったのです。祭司もレビ人も神殿で神に仕える人です。その彼らが自分には関係ない、といって関わることをしませんでした。自分中心な利己的な行動です。これもまた人間の生まれながらの性質、つまり肉によるものです。

 肉の性質は罪と結びついていることが分かります。

4.わたしたちの肉

 キリスト者なら自分の中に「肉」があり、この肉がキリスト者として生きようとする自分の行動を妨げることを知っていると思います。この「肉」は、私たちが神さまの教えに従うのを妨げる働きをします。

 私自身は、人から認められたいという肉の思いがあることを知っています。だから私はいつもイエス様は自分を無にして死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで神に従順に歩まれたことを覚えます。自分を無にしたイエス様を思い、自分が人から認められたいとの肉の思いを捨てることにしています。

 キリスト者として生きるには、この「肉」に対して適切な対処をしなければなりません。

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