クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

肉の現れ

(クリスチャンの成長(76)キリストに結ばれて-34)

 肉は生まれながらの人間の持つ性質です。信仰を持たない人は、自分の肉から生まれる行動が罪であるとは思いません。もちろん自分を抑制し、肉の業に支配されないように努力している人たちもいます。人によってそれぞれの人の弱点となる肉の業は異なると思います。でもだれもが肉から自由になれないのも事実です。そしてキリスト者も肉に支配されたままでいることもないとは言えません。わたしたちの行いの中でどのようなものが肉から生まれる行いとなるのでしょうか。

ガラテヤ 5:19~20
肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。

 ここには肉から生まれる行動が列挙されています。性的なさまざまな誘惑が街にはあふれています。週刊誌、DVD、ネットでの動画など。他者との関わりにおいて抱く様々な思い。肉から生じる思いがあります。お酒の誘惑にも肉の業があります。

テモテ二 3:1~5
しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい。

 ここにも肉から生まれる行動が列挙されています。新約聖書には、このような一覧表がいくつか記録されています。

 自己中心、他者への無関心、ごまかし、保身、高慢、誇り(プライド)、嘘、悪口、自己顕示欲、無責任、差別、権力欲、名誉欲、ぜいたく、さまざまな貪欲なども肉のわざです。キリスト者が自分の力で生きようとするとき、それも肉の業です。

 キリスト者は神の教えに従おうとするとき、自分の内にある肉に気づきます。肉は神の教えに抵抗するからです。ここで信仰の戦いが生じます。肉に身をゆだねれば罪を犯します。

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