クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

愛は決して滅びない

コリント一 13:8
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう

 私は日本基督教団に属する教師(牧師)です。正式には「教師」と呼ばれます。牧師は通称となります。この教団は年に何回か機関誌を発行しています。教団新報といいます。基本的に各教会に送られてきます。隠退した教師のもとには届けられませんが、インターネットを通し、教団のサイトに行くと読むことができます。教団の動向などが分かります。私は時々教団新報を読みますが、最後の方のページには「事務局報」として教師に関する報告があります。訃報、転任の情報を読むことができます。やはり目を通すのが訃報です。知っている先輩の牧師の名を見る時、天に召されたのか、と感慨にふけります。

 最近は、私より若い方の名前を見かけます。先日は71歳で亡くなられた教師の紹介がありました。また75才で亡くなられた方の紹介もありました。私は今74歳です。さらに2名の方が91才で亡くなられたとも書かれていました。人の命は神さまの御手の中にあるので、神さまにゆだねて、残りの日々を歩みたいと思います。

 いつその時が来てもおかしくない身としては、備えが必要となります。私の備えは、基本的に終末の時に何が起きるのかを楽しみにするということです。そこに聖書を読む楽しみもあります。また讃美歌にも励まされる歌詞があります。

「終わりの日が来たなら、裁きの座を見あげて、
わが力の限りに 心を高く上げよう」(讃美歌第二篇1番)

 神さまの裁きの前に出た時、心を高く上げるのです。なんと誇らしいことでしょうか。私たちはイエス・キリストを信じ、信仰によって義とされているので、何も恐れる必要はありません。

 コリントの信徒への手紙一のディボーションを続けてきて、今13章です。そこで「愛は決して滅びない」とありました。「決して」というのは強い言葉です。

 そこで私は二つのことを思いました。一つは私を愛してくださる神の愛は、決して滅びないということ。私が地上を去っても、なお私に対する神さまの愛は滅びない、なくならない、と考えます。私はいつも神さまに覚えられている、このことを心に刻むことを私の備えの一つとしようと思わされました。

詩編 48:15
この神は世々限りなくわたしたちの神/死を越えて、わたしたちを導いて行かれる、と。

 もう一つは、私が人に示した愛、その愛も神さまに覚えられているということです。愛すること、それは天に宝を積むことになるのですね。

ヘブル 6:10
神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。

 

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