奈良では梅がずいぶん咲いてきました。私は散歩しながら道端を眺め花が咲いていないか探します。小さな花、誰も見向きしない雑草の花です。2月になったばかりでまだそんなに咲いているはずもないのに探します。
なぜこんなことをするのかと自分に問いました。ブログに季節の花の写真をのせるようにしているので、花の少ない時期はよけいに探すことになります。季節は巡るので今日見つからなくても明日見つかるかもしれません。まだ寒さが残り、春の花が咲くのはまだ先のこの時、春一番に咲く花を探すのは、それを見て、春は近くに来ていると思いたいから、だと思いました。先日妻と一緒に散歩していたら妻がスミレの咲いているのを見つけました。驚きました。気の早いスミレがいたのです。これもまもなくスミレの季節が来ることのしるしです。
そしてそのように思う私の心の深いところには、世界の終末の日が来ることは確かであるというしるしをみたいとの思いがあることに気がつきました。
イエスさまは福音書の中で終末が近づいた時のしるしについて語っておられます。天変地異的なことが起きることを話しておられます。
マタイ 24:29~30
「その苦難の日々の後、たちまち/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、/星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る」。
イエスさまの再臨が間近になった時には、そのしるしが現れると書かれています。私は今、そのような天変地異とは異なるしるしを今、見ることができたらいいなと思っていたのです。私の心には、安心して死にたいとの思いがあるからです。