↑夕日寺健民自然園
近くの里山。15分ほどで山の頂に着く。手頃な運動。
↑アオイスミレ
ここには春一番に咲くスミレが自生している。今日、確かめに行ったら、咲いていた。スミレは季節が来れば花を咲かせる。どのような自然災害が起きても、ひとはまたそこで生活を築く。
今、教会の暦では、受難節と言われる季節。イエス・キリストは私たちを救うために死んだ。十字架の上で死なれた。この死にどのような意味があり、わたしたちは何から救われるのか。キリストの死については、私たちの罪を償うためであり、その結果、私たちは罪の赦しを受けることができると教えられてきた。そして刑罰代償説といって、我々が罪人として神から受ける怒りをイエス・キリストは十字架の上で、我々の代わりに受けてくださったというキリストの十字架の死の理解がある。あるいは充足説といって、キリストの犠牲は、人間の罪を怒る神をなだめる働きがあるとする十字架の死の理解がある。ルカ福音書を読むと、イエス様は、自由、解放を与えるために来たと書かれている。それに呼応するかのように、キリストは罪を取り去るために、取り除くために、罪から解放するために、おいでになられたと聖書は書いている。この自由、解放というキリストの死の意義はもっと強調されてよいのではないか、と考えている。