クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

キリスト者は何を誇るか

ガラテヤ 6:14
しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。

 かつてクリスチャンを迫害していたパウロが、復活のキリストから呼びかけられ、キリストを宣べ伝える者へ変えられました。そのパウロが語るのです。イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものがあってはなりません。強烈な言葉です。人間は誇り(プライド)なしには生きていけない存在です。何を誇るか、それが問題です。

 パウロは人間的な誇りの塊(かたまり)のような人でした。自分の生い立ち、出身を誇り、ファリサイ派に属し、律法を守る点で落ち度はなく、神に対する熱心さではクリスチャンを迫害していたと自ら語ります。

フィリピ 3:5
わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。

 キリストに出会ったパウロは、それら人間的な誇りはくずに等しくなったと語り、彼はキリストを誇るようになったとフィリピの信徒への手紙3章で書いています。このガラテヤ書ではキリストの十字架の他に誇るもがあってはならないと書いています。

讃美歌142番にこうあります。

1.さかえの主イエスの 十字架をあおげば
世のとみ、ほまれは 塵にぞひとしき

2.十字架のほかには ほこりはあらざれ
この世のものみな 消えなば消え去れ

 あなたは何を誇りにして生きているのか、ガラテヤ書の言葉は私に問いかけてくる聖句です。

 

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