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隠退牧師 holala によるブログ

聖書が伝える救いとは(4)罪の支配からの救い

 アダムとエバが罪を犯した原因の一つは蛇です。神は彼らに「園の中央にある善悪の知識の木から取って食べてはいけない。取って食べたら必ず死ぬ」と警告しました。

 ある時、蛇が近づき「取って食べても死なないし、食べると神のように賢くなることを神はご存じなのだ」と語ります。神はあなたたちが賢くなるのを願っていないんだよ、と神に対する不信感を与えて惑わしました。その結果、アダムとエバは木の実を食べ、罪を犯しました。

 この物語は、罪を犯すように人間に働きかける存在、力がこの世にあることを示しています。聖書は私たちに罪を犯させようとする存在を悪魔とか、サタンとか呼びます。また聖書は、私たちに罪を犯させようとする力を「罪」とも呼んでいます。

 たとえば神がイスラエルの民に与えた戒めに、十戒があります。十戒の最後の戒めは「隣人の家を欲してはならない」です。「むさぼってはならない」という戒めと受けとめられています。

ローマ 7:7~8
たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。

 「むさぼってはいけない」と言われると、むさぼってみたいとの思いが、私たちの心に湧いてきます。それは罪が神の戒めを用いて、戒めに逆らう思いを私たちの心に起こしたからだというのです。

 キリスト者の深刻な悩みは、神の教えに従いたいと思ってもそれに逆らう思いが心に湧いてきて、結果として教えに従わないことが起きるということです。パウロはロマ書の7章でこのように書いています。

ローマ 7:19~20
わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。
もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

 これはキリスト者にとって深刻な悩みです。罪を犯すように私たちに働きかける力があります。そのような力の働きかけの下にある私たちのことを聖書は、罪の支配下にあるとか、罪の奴隷であると語ります。

 しかし福音は語ります。

ローマ 6:17~18
しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました

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