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隠退牧師 holala によるブログ

聖書が伝える救いとは(5) 心の汚れからの救い

 アダムとエバは、神からなぜ善悪の知識の実を取って食べたのかと問われました。するとアダムは女が私に木の実を渡したから食べましたと弁明しました。エバは、蛇が食べても大丈夫と言ったから食べたと弁明しました。二人とも自分の罪を正直に認めず、責任転嫁をしました。彼らの心はずるさで汚れてしまいました。

 罪からの救いを考えるときに、私たちの心の汚れも問題となります。私たちの心は罪へと傾いています。パウロはガラテヤの手紙5章で、私たちの心の汚れについて語ります。

「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、
敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、
ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです」。

 これらは、私たちの心の汚れを示しています。このような汚れが罪を生み出します。道徳をいくら教えても人間は心の汚れから自分を救うことはできません。

エフェソ1:4
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

 私たちは心の汚れからの救いを必要としています。神はこの救いを用意されていることが分かります。

 私たちの信仰は神との交わりに生きることであり、神を愛し、神の御心を大切にしたいとの思いに導かれ、神の教えに生きようとするなら、聖霊の助けを得て、心は汚れから清められていきます。

 上に引用したガラテヤ書に指摘されているいくつかの事柄や、人を裁く思いから、私は清められました。神さまが清めてくださったと信じています。

詩編 51:12
神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。

讃美歌2編161番 「輝く日を仰ぐとき」から

天地(あめつち)つくりし神は
人をも、つくりかえて
正しくきよき魂
持つ身とならしめたもう

わがたま、いざたたえよ
聖なるみ神を
わがたま、いざたたえよ
聖なるみ神を

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