聖書が語る罪について考えていて、ふと思いました。モーセの十戒の戒めはなぜ、今ある10の戒めなのかと。神さまがお定めになったのですから、その御心を推し量ることはできませんが、成る程と思えることはあります。
神学者の中には、人間の罪を分類する人がいます。ある人は、人間の罪は、「高慢、怠慢、虚偽」と分類します。別な人は「高慢、強欲、虚偽」と分類します。私自身は、このような分類に興味はありませんが、そうなんだと思ったりします。
そこで十戒を見ます。
- あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
- あなたはいかなる像も造ってはならない。
- あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
- 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
- あなたの父母を敬え。
- 殺してはならない。
- 姦淫してはならない。
- 盗んではならない。
- 隣人に関して偽証してはならない。
- 隣人の家を欲してはならない。
この戒めを見て思います。1~5は、自分に対して権威あるもの(神、親)を敬うことを命じています。この戒めを破る者は、「高慢」と言えます。
9は「虚偽」を禁じています。6,7,8,10は人間の欲に関わりますから、「強欲」と分類できるかもしれません。
十戒で示される罪が毎日のようにニュースで報道されるのに驚きます。指導者たちの傲慢な態度は、新聞を見れば、いつでも見ることができます。多くの人が嘘をつきます。強欲に関することも日常茶飯事でニュースになっています。
あらためて人間って何者なの?と思わされます。聖書が人間の本性は腐敗していると告げるのは、本当だと思わされます。言うまでもありませんが、自分の内に「高慢、虚偽、強欲」があることは誰もが認めると思います。
「いばるな、うそつくな、よくばるな」。十戒の戒めは人間の本性の腐敗をあぶり出す戒めとして神さまによって選ばれたような気がします。