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隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第一段階(2)人間の罪の現実

 AD400年前後に活動したアウグスティヌスは『告白』の冒頭で有名な言葉を残しています。

あなたは私たちを、ご自身にむけてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることはできないのです。

 年齢を重ねると共に、この言葉がいかに真実であるのかを知ります。神なしに生きる人間、つまり人生航路の第一段階を生きる人は、ありのままの自分を喜べないという問題を抱えます。そこで自分を受け入れることができる自分になろうと人は努力しますが、うまく行きません。色々な悩みを抱えますし、罪を犯します。

 ガラテヤ書の言葉に目を向けます。

ガラテヤ 5:19~21
肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。

 「肉の業」とは、生まれながらの人間、神を信じない人間の行うことを意味します。これは悪徳表と呼ばれたりします。「姦淫、わいせつ、好色」は人間の欲に関係します。「偶像礼拝、魔術」は物事を自分の思い通りにしようとする姿の表れです。裏を返せば、自分の力不足があります。自分の思い通りにならない現実があり、イライラしたり、不平、不満を抱きます。人間は自己中心的ですから「利己的」であり、他者との関係において、「敵意、争い、そねみ、怒り」の中におかれます。そして「不和、仲間争い」が日常となります。自分と他者を比較し「妬み」を抱きます。劣等感を抱いたり、嫉妬します。ひどければ敵意になります。不満や悩みを忘れようとしてお酒を飲み「泥酔」し、また酒宴を開き、嫌なことを忘れようとします。

 人は何らかの形で、高慢、強欲、虚偽という罪を犯しながら生きています。高慢になり、人を見下し、自分はこれでいいのだと満足します。強欲になり、色々な欲を満たし満足しようとします。嘘をついては事を自分の都合のいいように運ぼうとしたり、自分を守ろうとしたりします。

 ある人は人生こんなものと割り切ります。他者と自分を比較し、これならいいかと思えれば、自分の現実を、そして自分を受け入れます。妥協です。

 生まれながらの人間は罪と死の支配の下にあります。人は自分が死ぬことを考えると死の恐怖を感じます。そこで、死の恐怖から目をそらそうとして、死を考えないようにして、自分をごまかして生きていきます。

 以上のようなことは人間の現実です。聖書は、神との関係がなく、自分の力で立って生きようとする事から生まれる人間の歩みの破綻の現実を告げます。罪の結果なのです。罪の本質は、神との関係なしに生きることにあります。

 自分の力で生きようとする、それが人生航路の第一段階に生きる人間の特徴です。そこには平安がありません。真の満足がありません。破れがあります。

 しかし、イエス・キリストに結ばれるなら、人生航路の次の段階に進むことができます。

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