クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

そうだったのか、聖霊のバプテスマ

 普段考えている事柄とは違ったテーマですが、ロマ書の学びをしている中で、そうなのか、と教えられたような気がしました。

 聖霊のバプテスマ、これは私の若い時のテーマでした。これは一体何を意味しているのか、色々追求しました。このブログの「聖霊」というタグをクリックすると私が色々模索した経緯を読むことができます。

 まず4つの福音書のどれもが、洗礼者ヨハネがイエスについて聖霊によって洗礼を授ける方と語っています。それゆえ、聖霊による洗礼とは何か、当然知りたくなります。

 聖霊による洗礼といえば、ペンテコステ派という教派があります。この教派が誕生した経緯には興味深いものがあります。この教派では、聖霊による洗礼にはしるしがあり、異言を語るようになると教えられています。

 また私が青年の求道者の時、通っている教会の青年会の人から、K教会の祈祷会に行ってご覧と言われたことがあります。行ってみました。その祈祷会では最初は牧師による聖書講解が行われ、その後、皆で祈ります。祈りが始まった途端、私は恐れに囚われ震えました。ここにはいられない、急いで教会を去りました。そこにいた人たちが一斉に意味の分からない言葉で祈りだしたからです。その独特な雰囲気に恐れを覚えました。求道者だった私には何が起きているのか分かりませんでした。

 後日K教会の牧師先生が書いている本を読みました。K教会は、この先生の開拓による教会で、聖書を説くことを大切にしていた教会でした。先生は聖書を語る自分に力が足りないと感じ、聖霊の導きを求めて熱心に何ヶ月も祈ったそうです。ある時、お腹から湧き上がるものがあり、湧き上がるままにしたら、口から異言が出てきたとのこと、それから確信をもって聖書を語ることが出きたと書かれていて、興味深くその本を読みました。

 さらに私が御殿場教会の牧師であった時、年配の女性教会員の妹さんが別教派の教会の牧師をしていました。比較的近くにある教会でした。その教会の属する教派の創始者(日本人、ホーリネス系)の方も不思議な経緯で、異言とは違いますが、聖霊のバプテスマのしるしとされる祈りをされていました。好奇心の強い私は、その創始者の方の本を読んだり、お会いする機会を得たことがあります。

 そんな経験があり、聖霊のバプテスマとは何か、強い関心を持ちました。信仰にとってとても大切なものに思えたからです。

 私が所属する日本基督教団は、いくつかの教派が合同した教会です。私自身は、水の洗礼を受ける時、同時に聖霊の洗礼も受けるのだと教えられました。これには次のような聖書箇所が根拠となっていると思います。

使徒言行録 2:38
すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。

 賜物として聖霊を受ける、これが聖霊による洗礼だというのです。私の聖霊による洗礼が何か、の探求は、信仰者の内には聖霊が住んでおられる(聖霊の内住)との確信を与えられて一段落していました。

 今朝、聖書の学びをしていて、聖霊による洗礼とは、そういうことなのか、との思いを与えられました。(続く)

モクレンの蕾(つぼみ) 馬見丘陵公園