クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 風邪はだいぶよくなった。咳さえなくなれば完全に回復なのだが。朝は、エリクソンの本を読み、それから祈る。誕生カードとか、事務処理。昼食後は、週報、長老会の準備。結構時間がかかる。夕方5時から入門コースの学び。夕食。説教の準備。

 この一週間考えてきたこと。パラダイムシフト。考え方の転換、発想の転換の必要性。我々の教会は、教会の組織をはっきりさせ、組織を担う人物にその働きを担当させることで教会の働きがなされてきた。長老会、伝道委員会、教会学校。でも後継者不足。実りも少ない。

そして、(キリストは)ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき(エフェソ4:11〜12)

 この聖句は、牧師の務めが「聖なる者たちを奉仕の業に適した者とする」ことと教えている。奉仕の業に適した信仰を持つ人に育てる働きをどれほど自分はしてきたのか。奉仕の業に適した人を育て、その人々が奉仕をするように発想の転換が必要だ。

 第二次世界大戦後、日本にはキリスト教ブームが起きて、教会には沢山の人が来た。子供たちも沢山来た。その時教会は、洗礼を受けた人を次々に教会学校の先生にした。やがてブームが去り、潮が引くように人々は教会を去った。教団は、教会学校教育についてレポートを出したそうである。教会学校の教師ができるように育てないまま教師にしたのは間違いであったと。この世の教育でも、教師となるために何年かの学びが必要だ。そんな備えなしに教師をして、子供たちが定着し信仰者に育つと考えることが空想であった。同じ過ちを今もしているのではないか、考え方を変えなければならない。信仰者を奉仕の業に適した者に育てることを第一としなければならない。このことを長老会で共有できるように祈らなければならない。

 恵みの神さま、長老会で、この意識を共有できるように導いてください。