クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私の家族伝道

1.親、兄妹への伝道

 私が育った家族は両親と、私、二人の妹の5人家族でした。そしてクリスチャンは一人もいませんでした。私が一番最初にクリスチャンになりました。サラリーマンとして働いているときに洗礼を受けました。洗礼を受けることについては、両親に相談するとか、許可をもらうとかはしていません。家の宗教も特にありませんでした。


 サラリーマン生活を10年しました。夜間の神学校に通い、卒業と同時に牧師としての働きを始めました。牧師になることは両親に報告しました。両親は反対しました。経済面を心配したのです。私の父は家庭の事情で進学をあきらめさせられたという事情があったので、私が牧師になり、私の子供たちが進学をあきらめざるを得ない状態になったら困るという思いで、反対しました。そこで子供たちは進学を希望したら進学させると約束して父の了解を得ました。母はせっかく大学卒業して企業に就職しているのに、なぜ、とやはり経済的な面で心配していましたが、私は自分の意志を貫きました。

 

 神学校卒業して三重県の鳥羽教会に赴任しました。夏に両親が訪ねてくれましたが、牧師館の狭さを見て母はなんでこんな生活をしなければならないの、と思ったようで、母は駅まで歩きながら帰るとき、妻に「明夫は私の言うことを聞かないから、あなたから牧師をやめるように説得して」と言いました。これには妻も困ったようでした。


 秋のある土曜日、妹のご主人から母が亡くなったとの連絡がありました。急死です。母は60歳でした。ショックでしたが高まる心の中で説教の準備をし、母教会の牧師に葬儀をお願いしました。葬儀を終えて東京から帰宅すると母からの手紙が来ていました。母は手紙を投函した後、家で倒れたのでした。

 

 しばらくして父が私の母教会の礼拝に行くようになりました。妻の葬儀を教会でしてもらったので教会に行った方がよいだろうと考えたようです。義理堅いのです。その後父は転居し、別の教会の礼拝に通い、壮年会に参加したことがきっかけとなって洗礼に導かれました。一泊の壮年会があり、楽しかったようです。父が信仰を持つに際して、私は何の働きかけもしていませんが、息子が牧師であることは何らかの形で影響したかもしれません。洗礼を受けたとき、分けが分からないが涙が出てきたと父は語っていました。

 

 私はインターネットを利用して教会のホームページを作ったり、やがてブログを始めたりしました。コンピュータの会社で働いていたので、抵抗を感じないで、始めることができました。二人の妹のうち下の妹が私のブログを見てくれて、やがて教会に行くようになり洗礼に導かれました。ブログを通して、伝道をしたことになります。上の妹に対しては文書伝道をしました。教団から出ている『こころの友』という見開き4頁の新聞みたいな伝道文書を送ったり、聖書の言葉が添えられた写真集などを送りました。まだ礼拝には導かれていません。

2.子どもに対する伝道

 私は4人の子を授かりました。牧師家庭で育ったことが大きいと思いますが、4人とも信仰者になりました。牧師の子どもが信仰に反発を持つことがあることは聞いていましたので、信仰を押しつけるようなことはしませんでした。4人とも幼児洗礼を受け、長男は高校生の時に、長女と次女は高校生の時に一緒に、次男は中学3年の時に信仰告白をしました。子供たちは教会学校に行き、夏には夏期学校や地区や連合長老会の中高生修養会にも参加し、他教会の同年代の世代との交流も与えられました。親が牧師であること、環境にも恵まれて信仰に導かれました。

 

 次男が小学生の時、風邪をひいた時、妻が祈ろうとしたしました。その時、息子は「祈って治るの?」との冷ややかな反応でした。無理もない反応だと思いました。でも信仰告白に導かれました。親が信仰を持っているということは、それなりに重みがあるのかもしれません。