クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 今日は地区の教師会。教師会の内容は、開会礼拝で、牧師が交代で説教をしている。その後、神学書を読んでの話し合い。あとは情報交換である。今『牧師』(ウィリアム・ウィリモン著)を読んでいる。今日は第4章。興味深い内容だった。


 著者はアメリカの状況の中で生きている。我々は自分が生きている時代から離れることはできない。我々は時代の影響を受ける。アメリカでは、個人の人権を主張し、個人の選択の自由の価値が重んじられ、他方、消費社会で、欲望の充足が是とされる社会である。そのような社会の中にあって、たとえば、牧会カウンセリングをする時も、世の風潮に流される傾向が生じる。この世的な価値観が大きな流れで我々を押し流そうとする。そういう中で、牧会とは、信仰者を日々の生活の中で生ける神を礼拝するように援助することと教えられる。キリスト教とは対抗文化的なものであると語られる。この世的であったはならないということであり、信仰者の生き方も、聖書に示されている生き方となるように導くのが牧会である。興味深い内容だった。そして自分自身の牧会の課題を深く関わる内容であった。


 また牧会とは、牧師と信徒の間でなされるだけではなく、信徒同士の牧会も考える必要がある。なぜなら、我々はキリストの体である教会に属し、体の一部が喜べば共に喜び、悲しめば共に悲しむ存在だからである。さらに信徒の悩みとどう関わるのか。どう関われるのか。信徒から悩みを話してもらえるような牧師でなければならない。


 夕方はのんびりした。そして夜は久しぶりに映画を見に行った。『重力ピエロ』。男の兄弟が登場する。二人は、弟は、レイプされて生まれた。父は、妻から妊娠したことを聞いた時、産むかどうか、神に祈ったという。すると天からはっきりした声で

自分で考えろ。

との声が聞こえてきたので産むことに決めたという。弟はやがて自分の出生を次第を知ることになる。そのことが大きな傷となって彼の行動を人生を支配する。映画は音楽も流れてくるので、レイプという暴力が人の心に残す傷の大きさ、それを重荷として背負っていく人間の心を思う時、涙が出た。