今思うと、神学校を卒業したての信仰生活数年の新米の牧師の説教を教会員の方たちはよく聞いてくださったなと思います。もちろん、説教の準備は誠実に行いました。
私は牧師として教会に遣わされました。そして教会には信仰に歩み、神さまを礼拝する人たちがいます。教会には信仰に生きようとしている人々がいる、何の変哲もない現実ですが、これが恵みであることを今思います。
教会員には同じ人はいません。一人一人個性があるし、信仰の成長の度合いも様々で、熱心な人もいればそうでない人もいます。よく奉仕をする人もいれば、教会の奉仕に関心を示さない人もいます。牧師として私は一人一人の教会員に対して色々な思いを持ちます。その一人一人を養っていくのが羊飼いとしての牧師の務めです。養うべき羊を与えられている、それが恵みであることを今思います。牧会しているときは、恵みであるとは思いもしませんでした。
見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
詩編133編1節