クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 朝、教会員のご主人が亡くなったこと、そしてお通夜と葬儀の日程を知らせてくれる電話があった。教会員からの連絡で感謝。自宅で療養していた夫を見送ったことになる。人生の伴侶を失う。覚悟はできていたと思うけど、やはり辛いだろうと思う。日曜の説教で、「死に直面してなお、命の素晴らしさを信じることができること、それは信仰の成長である」とカトリックの司教さんの言葉を引用した。


 ハイデルベルク信仰問答の最初の問いを思い出す。

問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。


わたしがわたし自身のものではなく、
体も魂も、生きるにも死ぬにも
わたしの真実な救い主
イエス・キリストのものであることです。
このかたはご自分の尊い血をもって
  わたしのすべての罪を完全に償い
  悪魔のあらゆる力からわたしを解放して下さいました。
また、天にいますわたしの父の御旨でなければ
  髪の毛一本も落ちることができないほどに、
  わたしを守っていて下さいます。
  実に万事がわたしの救いのために働くのです。
そしてまた、ご自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し
  今から後この方のために生きることを心から喜び
  またそれにふさわしくなるように
  整えても下さるのです。

 このような文章を読むことができることに感謝を覚える。喪失の悲しみから逃れることはできない。しかし、神の御手の中で生きることができることは感謝である。限りある命であるが、有意義に大切にしたい。この問答が語るように、イエス・キリストのために生きていきたいと願う。


 悪魔は私たちに死の恐怖を与え、死の経験を通して、私たちを絶望に追いやる。しかし主イエスは、私たちに希望を与える。