クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 朝ディボーションでヨシュア記一章を読んだ。以前は『幸いな人』を使ってディボーションをしていたが、今は、マナというディボーション雑誌を使っている。

 神はヨシュアモーセ亡き後、指導者として強く雄々しくあれ、と励ましている。心に響いたのは、

「あなたは、私が先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である」

との神の言葉である。


 つまりヨシュアアイデンティティーが非常に明白になる。神はヨシュアに何をすべきかを指示する。何をするために生涯を使うかを示す。神はヨシュアに、民に約束の地を継がせるという任務を与えた。ヨシュアはその任務のために生きるのである。で、僕の任務は何か。僕のアイデンティティーは何かを黙想するように導かれた。


 夜、地区の青年会のディボーションの分かち合いの会が金沢元町教会で開かれた。ヨハネ福音書15章1〜10節を皆で読み、ディボーションの分かち合いをした。13人が集った。我々は枝である。枝がどういう実が結ぶかは、その木がどういう木かで決まる。ブドウの枝はブドウの実を結ぶ。キリストにつながる我々は、キリストが結ばせたい実を結ぶことになる。


 先週、五つの目的の学びの会で、神と友情を築くための六つの原則があると学び、それを思い出した。その六つの原則を暗唱できるように努力している最中なので。その原則の最初の二つは今、実践中であるが、五番目の原則が思い出された。

神が大切にしておられるものを大切にする

 神が大切にしているものを大切にする歩みの中で豊かな実を結びたいと思わされた。また豊かな実を結ぶとの約束を与えられた。ここに僕のアイデンティティーがあるように思われた。牧師として、一人の信仰者として、「神が大切にしておられるものを大切にする」という歩み、これをアイデンティティーにしたいと思う。