クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 朝、ヨシュア記 9〜10章。午前と夜、祈祷会。ギターの練習は休むと以前の状態に戻ってしまう。60の手習いではしかたがないか。台風が近づいているので、明日の弟子コースの学びは休むことにする。


 ある人は定年を迎え、新たな人生を歩む。年齢的には向老期。ある人は定年を迎えても、同じ職場で継続的に働き、引退の時期を遅らせることができる。僕の場合、牧師としての定年はない。しかるべき時が来たら、隠退はしなければならない。それまでは牧師としての務めを果たす。すると場合によっては、向老期、そして老年期まで牧師としての務めを果たすことになる。この場合、壮年期と同じ気持ちで務めをし続けることに抵抗を感じない。体力の衰えは感じつつ、ペースをゆっくりして働くことになる。すると「老い」を生きる備えができないまま、生きていくことになりかねない。


 老年期には老年期の実りがある。その実りを得るように、しかし同時に牧師としての務めも果たしていく。課題。