聖書 ルカ 9:51〜62
説教 神の国を言い広める
→私たちは神を信じます。
- 神を信じるとは、神のご支配があることを信じることです。
- 東日本大震災は、地震、津波、原子力発電所の事故による大きな被害をもたらしました。
- このようなことを経験すると「神などいない」という人が出てきます。
- 神がいるなら、なぜこんな事が起きるのか、というのです。
- 私たちにも分からないことはあります。
- 世の中に起きるすべての出来事を神の名によって説明できるとは限りません。
- 何が起きようと、それでもなお、私どもは、神様のご支配を信じます。
- この神のご支配の下に生きる幸い、喜びを伝える、それが今日のテーマです。
→今日の聖書で、イエス様は、エルサレムに行く決意を固めたとあります。
→ガリラヤでの働きを終えたイエス様は、サマリアを通り、エルサレムに行かれます。
- ガリラヤでイエス様は何をしてこられたのでしょうか。
- 神の国を宣べ伝えました。神の国の福音を宣べ伝えました。
- 神の国、つまり神様のご支配のあることを宣べ伝えたのです。
- 特に病人を癒やし、悪霊に取り憑かれた人から悪霊を追い出しました。
- それによって神様が生きて働かれる方、今ここにおられるかたであることを
- 人々に伝えたのです。
- 神は共におられる、神と共に生きていこう、このようにイエス様は教えられたのです。
- 「神の国」には二つの面があります。今と将来です。
- 一つは将来、世界の終わり、終末の日が到来して実現する神の国です。
- もう一つは、今、私たちが生きる神の国です。
- イエス様は「神の国はあなたがたの間にあるのだ」と教えられました。
→私どもは今、神様のご支配の中を生きることができます。
- 信仰とは、神さまのご支配の中を生きることです。
- 神が共におられるということは、神さまのご支配の中を生きると言うことです。
- 神が導かれると言うことは、神さまのご支配の中を生きると言うことです。
- この神様のご支配は、だれにも分かるような明確なものではなく、
- むしろ信じるものです。
- 私どもは、神様が、この世界を、この私の生活を支配し、導かれることを信じます。
- 神様のご支配を信じるのです。
- 神のご支配は目には見えません。
- 信仰者は折に触れて、神が生きて働かれ、導きを与え、助けを与えてくださることを体験します。
- そのような体験を通して、神のご支配のあることを私どもは知るようになります。
- 「支配」というのは目に見えません。
- 独裁者の支配は、弾圧行為によって見えるようになります。
- 神さまのご支配も、日々の生活で体験する神の導き、神の恵みによって知ることができるのです。
- この神の国に生きる幸いをイエス様は宣べ伝えたのでした。
→そのイエス様が、ガリラヤを去り、サマリアを通ってエルサレムに行きます。
- サマリアでも神の国を宣べ伝えるのです。
- イエス様は使いの者を先に送り、準備をさせたとあります。
- 恐らく、宿の手配をさせたのでしょう。
- しかし、断られました。歓迎されなかったのです。
- 宗教上の理由で、ユダヤ人とサマリア人は仲が悪かったのです。
→その時、弟子のヤコブとヨハネが思いがけないことを言います。
- 「天から火を降らせ、彼らを焼き滅ぼしましょう」。
- 昔、預言者のエリヤが、天から火を降らせた出来事があり、
- 弟子たちは聖書から教えられてこの出来事を覚えているのです。
- 昔、預言者のエリヤが、天から火を降らせた出来事があり、
- 弟子たちはそのことを覚えているのです。
- 弟子たちがなぜ、このような激しい思いを抱いたのか、私には分かりません。
- しかしイエス様は仕返しを許しません。
- イエス様は弟子たちに、受け入れてくれない村がある時、
- 足のちりを払ってその村を出て行きなさいと弟子たちに教えていました。
- しかし弟子たちは拒否されたという感情に動かされたのです。
→拒否されるということは今に始まったことではありません。
- イエス様は、ガリラヤで神の国を宣べ伝えました。
- 一番最初、生まれ故郷のナザレ村で宣べ伝えました。 ・しかし故郷の人々は、あれは大工の息子ではないかと言って、受け入れませんでした。
- 神の国を宣べ伝える働きは拒絶から始まりました。
- そしてサマリアでも拒絶されたのです。 ・ですから、私たちがイエス様のことを人に伝えようとして、拒絶されても
- 落胆したり、無力感を感じたりする必要はありません。
- 伝道の仕方が上手でなかったと自分を責める必要もありません。
→そこでイエス様は別な村に行きますが、途中で3人の人がイエス様のもとに来ます。
- 最初の人は、イエス様に「あなたに従って、どこへでも参ります」と言います。
- イエス様は、この人に「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。
- だが、人の子には枕するところもない」と言うのです。
- サマリアの村では宿を断られました。
- 宿が見つかるか否かは、神さまの導き次第です。
- 今夜寝るところさえ確かでない、そういう生活を覚悟できるかというのです。
- 神様のご支配を信じ、神の導きを信じる覚悟があるか、と主イエスは教えられるのです。
→二番目の人には、イエス様が「わたしに従いなさい」を命じます。
- 彼は「父の葬りに行かせてください」と言います。
- 父の葬儀を行うことは子として大切な務めです。
- この義務よりも「神の国を言い広める」ことを優先しなさいと言うのです
- イエスに従うことが、生活上の義務より優先するのです、と教えられました。
→三番目の人は、「「主よ、あなたに従います」とイエス様に言います。
- この人は、イエス様に従いますが、まず、家族に別れを告げる許可を求めます。
- これに対して、家族の絆よりも、わたしに従うことを優先させなさい、と
- イエス様は答えられました。
- 三人の人がどうしたかは聖書に書かれていません。 ・これらの言葉は、私たちに向けられた言葉ということができます。
→「神の国を宣べ伝える、それはいいことだし、大切なことだ。
- しかし、親の葬儀を人任せにし、家族との別れも言えないなんて、 ・信仰というのは、やはり深入りをしない方がいいのだ」と思う人もいることでしょう。
- 「私には生活があるから、日曜日に教会に行くので精一杯。
- 伝道は牧師さんが頑張ってよ。
- 時間のある人と一緒に頑張ってよ」と言う人もおられることでしょう。
- 「イエスに従い、神の国を宣べ伝えるなんて、平凡な信仰者であるわたしにはできない。
- それは牧師とか信仰深い人、時間のある人がすればいいんじゃないの」
- と思う人もいるでしょう。
→でも考えてみてください。
- イエス様のもとに来て、病気を治してもらったり、
- 悪霊を追い出してもらった人たちは、その後どうしたと思いますか。
- 彼らは家に帰ったあと、家族や近所の人に、
- イエス様にしてもらったことを話したんです。
- 話したかったからです。伝えずにはおれなかったのです。
- わたしにこんなことをしてくれた、素晴らしいことだ、と
- 喜びから話さずにはおれなかったのです。
- 神の国を言い広める原点は、喜びです。
→イエスは言いました。
- 神の国はあなたがたのものだ(6:20)。
- 神の国はあなたがたのただ中にあるのだ(17:21)。
- 神の国を求めなさい(12:31)
- 小さな群れよ、恐れるな。あなた方の父は、喜んで神の国をくださる(12:32)。
→神のご支配は、私どもが求めるものなのです。
- 神のご支配は、父なる神が、喜んで与えてくださるものなのです。
- そして信仰とは、神のご支配の中を生きることです。
- その時、何が起こるのでしょうか。
→世界が違って見えてくるのです。
- 神の国を求めなさい。そうすれば必要なものはみな与えられますとの約束があります。
- 自分の生活に必要なものを手に入れようとあくせくするのではなく、
- 神の国を求めて生きる時、必要なものが与えられとの約束があるのです。
- 思い煩いではなく、平安が与えられるのです。
- 家族に対する義務を果たす、家族の絆も大切。それはその通りです。
- しかし、神の国、神のご支配の中に生きることを優先する時、
- 祝福が与えられるのです。
- 家族のことで悩む人は多いことでしょう。
- 自分の力で悩みを解決できないことも多いでしょう。
- 神のご支配の中に生きるとは、神の教えに従うということです。
- 神の教えに従うとき、私どもの家族との関わり方が変えられます。
- すると神の導きが与えられ、家族に祝福が与えられるということが起きるのです。
→信仰に生きるとは、自分の知恵や分別ではなく、神の導きを求めることです。
- 神の知恵たる神の教えに従うことです。
- その時、私どもの歩む道がまっすぐにされるのです。
- 「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、
- 常に主を覚えて、あなたの道を歩け。
- そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」(箴言3:6)。
- 神との関係を第一にする時、私どもの生活が整えられるのです。祝福されるのです。
→神の国、神のご支配を信じて生きる時、神の祝福が注がれるのです。
- だから、喜んで私どもは、その喜びを語るのです。
- それが、神の国を言い広めることです。
- それは劇的なことではないでしょう。
- 小さい出来事かも知れません。
- でも喜びから語られるのです。
- 私どもはもっと口を開いて、神の国を言い広めたいのです。
- イエス様も願っていると思うのです。
→そこで思います。年を取った人というのは、人生の開拓者です。
- 長い人生経験があり、老いを生きるという人生を開拓して生きるのです。
- 若い人が経験していない世界を、先んじて生きているのです。
- 年配の信仰者が神のご支配の中に生きる時、その経験は貴重なものです。
- 年配の信仰者の経験は、宝石といってもよいでしょう。
- どんなにか、若い人たちを励ますことでしょうか。
→人はそれぞれの年齢を神のご支配の下で歩みます。
- そこで神の導き、祝福を経験します。同じ年代に人たちに語るべき言葉を私どもは持つのです。
- それを伝える、それが神の国を言い広めることです。
- あるいは、自分と同じような問題を持つ人に語るべき言葉を私どもは持つのです。
- それを伝える、それが神の国を言い広めることです。
→私どもは、まず、神のご支配の中に生きる恵みを教会の中で言い広めたい。
- そして互いに励まし合いたい。
- それができるようになる時、外に向かって、神の恵みに生かされる喜びを伝えることができるようになるでしょう。
- 教会の中で、信仰が強められます。また励まされます。
→神を信じるとは、神のご支配を信じることです。
- 神が共におられると信じることは、神のご支配を信じることです。
- 神の愛を信じるとは、神のご支配を信じることです。
- 神の導きを信じるとは神のご支配を信じることです。
→あなたが神の国を求めるなら、あなたは喜びの声を上げることができます。
- あなたは神の恵みを喜びをもって伝える信仰者になれます。
- あなたの信じる父なる神は、あなたに喜んで神の国をくださるのです。
- あなたが今、神の国を言い広めて生きるなら、やがて到来する神の国を待ち望むようになるでしょう。
私のもとに来なさいといつも招いてくださる父なる神様、
私どもが、あなたのご支配を信じ、あなたのもとで信仰の歩みをなすことができるように助け、導いてください。
神の国に今、生きる信仰者として歩ませてください。
日常の生活で体験するあなたの恵みを語り、神の国を言い広めるものとしてください。
私どもの教会が、あなたの恵みを語り合い、励まし合い、信仰が力づけられる教会となるように導いてください。
神の国を言い広めるために、どうか私どもの口を開かせてください。
教会に連なる一人一人の信仰者が、それぞれの場において
あなたからいただいた恵み、祝福を告げ知らせる者としてください。
「よい知らせを伝える者の足は、何と美しいことか」とありますように、よい知らせを伝える者としてください。
イエス・キリストの御名により祈ります。