クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ


2012.5.7 医王山 マキノスミレ


最近、聖書を読む手引きとなる新しい雑誌が発行された。『日ごとに湧く泉』。振り返ってみると、僕はディボーションをすることによって信仰者としての歩みが変わり、説教者としての聖書との向き合い方が変えられた。ディボーションというのは、聖書日課に従って聖書を読み思いめぐらしながら、そこに神の導きがあると信じ、その導きを探るのである。


今朝、ヨハネ黙示録の2章以下を読んだ。主イエスはエフェソ教会のことをよく知っており、信仰の歩みを認めつつも、悔い改めるべき点については指摘している。神は、わたしのことをご存じであり、私を導こうとされていると信じ、その導きを求めるのである。与えられた聖書を読み、思いめぐらし、同時に自分の状況を思いめぐらし、神の導きを探るのである。こうして、神の語りかけに聞く訓練を重ねてきた。僕の信仰にとって、これは恵みであり、説教者としても、説教の準備で役に立っていると感謝をしている。


エフェソ教会は、初めのころの愛から離れてしまったと罪を指摘された。では僕の場合はどうなのか。教会は、ペンテコステの日以来、伝道をしてきた。神への愛から伝道をするという思いが教会を動かしているのかどうか、考えさせられる。伝道について長老会で話し合いを続けているが、力を注ぎたい、神への愛として伝道を考えたい、この思いをもって長老会で話し合いたいと思った。その際、黙示録の聖書箇所も紹介したいと思った。