「心の弱さとの戦いだった」。
そんなタイトルの新聞記事があった(2012年10月21日朝日新聞)。テニスのアンディー・マリー選手が四大大会で初優勝したという記事だった。ちなみに、四大大会とは、全豪オープン(Australian Open:1905〜)、全仏オープン(Les Internationaux de France:1891〜)、全英オープン(The Championships:1877〜)、全米オープン(U.S.Open:1881〜)の大会を指すそうである。記事によれば、アンディー・マリー選手は、男子テニスで、「四大大会で優勝していない史上最高の選手」と言われている。彼にとって、相手との戦いだけではなく、「永遠に優勝できないかもしれない」という心の弱さとの戦いがあったとのこと。
彼は今年から四大大会に八回優勝したイワン・レンドル氏の指導を受けた。
「あきらめず挑戦する大切さを教えてくれる最高の教師だ」
と彼は述べている。
あきらめずに挑戦を続ければ必ず志は成就すると多くの人が語っている。そこで思う。「それはむずかしい、それは無理です」。そういう声を教会の中で聞く。この世の人はあきらめずに努力して志を成就するのに、「それはむずかしいです」と神を信じる人が言う。「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と告白する人が。
↑毎朝散歩する浅野川沿いに立つマンション群
これはどういうことなのか。人は自分がいちばん大切なことと思っていることについては簡単にはあきらめないのではないだろうか。もし自分がいちばん大事にすることにおいてあきらめがあるとするのならば、その人には志を成就する喜びがないことになる。その人の人生はある意味でみじめである。だから人が簡単に「それは無理です。むずかしいです」ということは、むずかしいとされることが、その人にとって大切なことではないと言ってよいのではないだろうか。もし、神さまの戒めをむずかしいと言うのなら、神さまの教えを守ることはその人にとって、一番大切なことではないことになる。
人は自分にとって大切なことには真剣になる。だから簡単にはあきらめない。無理だと言って諦めるのは、そのことがその人にとって本当にそして一番大切なことになっていないのではないか、そんなことを考えた。