どうすれば罪からの解放、自由を得ることができるのでしょうか。こうすれば必ず罪から解放される、という答えをすることは私にはできません。私と妻の経験を前回このブログに書きましたが、人が解放を経験する仕方は様々です。とは言え、必要なことはあると思います。
第一に罪からの解放・自由は恵みとして与えられるということです。聖書に、それが約束として書かれています。
「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる」(ヨハネ8:34~36)。
主イエスは私たちを自由にすることのできるお方であり、実際に自由にしてくださり、私たちは本当に自由になります。これは救いの恵みに他なりません。
旧約聖書の出エジプト記のイスラエルの民のエジプト王の奴隷状態からの解放は、私たちが福音によって罪と死の支配から自由になることを指し示す物語、解放のモデルとしての物語です。単にイスラエルの建国につながる物語ではないと考えます。
「しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました」(ローマ6:17~18)。
第二に神さまに対する従順に生きることが必要です。信仰者として生きるとは、神さまに従順に生きることです。上に引用したローマの信徒への手紙の言葉は、義に仕えるために私たちは罪から解放されるとあります。イスラエルの民はエジプトから解放され、彼らは神の民として生きるよう神の民となりました。私たちはイエス・キリストを信じ、神の子として生きていきます。自覚的に神の子として生きる信仰が必要だと思います。
第三に罪と戦うことです。
「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」(ヘブライ人への手紙12:4)。
自分の力で戦うのではなく、聖霊の助けを求めて戦います。仮に負けたとしてもくじけません。勝つまで戦います。勝利は約束されています。聖霊が必ず助けてくださいます。
第四に誘惑とは戦ってはいけません。誘惑に対しては背を向けて離れることが大切です。エバはとって食べてはいけない木の実を見て、おいしそうで、賢くなりそうに見えたので、とって食べました。誘惑に対しては目を背けなければなりません。
罪から解放された経験が教会の中で分かち合われるようになると、解放を経験する人が増えていき、教会の中に喜びが満ちていくと信じています。