クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

今日は、天気が良かったので、水を汲みに鳥越に行った。雪景色がきれい。


帰りにCLC(キリスト教書店)に寄る。店員さんと妻の会話を聞いていると、二人の共通の知人のTさんのことが話題になっている。僕が牧師になって最初に赴任したのは、三重県の鳥羽教会である。その頃、Tさんは名古屋のCLCに勤務されていて、毎月、地域の教会を巡回してキリスト教書を積んで売りに来てくれていた。新しく出版された本を手に取ってみることができ、地方の教会の牧師にとって、Tさんが来るのは楽しみだった。Tさんを通して、色々本を買い、お世話になった。そんなことを思っていると若い日の頃のことが思い出された。


昔は今のように日本語に訳された注解書が少なく、説教準備は苦労した。ギリシャ語の聖書を読むために、辞書を使う。日本語の辞典もあるが、単語の意味を2、3記述してあるだけで役に立たない。BAGといえば知る人は知る英語の大きなギリシャ語辞典を駆使してギリシャ語聖書を訳す。今この辞書をパラパラめくるとほとんどのページに赤線が引いてある。それからキッテルの新約聖書神学事典というのがある。ギリシャ語の単語の詳細な説明をしている事典で、10巻本である。横にならべると一メートルくらいになる。単語の深い意味を理解すべく読む。英語だから時間がかかる。これらの辞典には、一つの単語が、聖書に何回使われていて、聖書のどこに用いられているかも書かれているので、それらの箇所も読んで、単語の意味を探る。今振り返るとよくやったと思う。ある時、ベテル聖書研究会の大柴牧師が来られて、礼拝が終わった後、「よく勉強していますね」と言われてうれしく思ったことは忘れられない。


英語の注解書は、Tさんに外国から取り寄せ、配達してもらった。時には、東京の銀座にある教文館に注文をしたりした。


今は聖書ソフトを利用すれば、単語の意味も、単語の分析(動詞だと、現在形か過去形か、完了形か未来形か、人称は何で、能動態か中態か受動態かかなど)もすぐに画面に表示ができて、文法書を手にして四苦八苦分析したあの若い頃の苦労は何なのかと思ったりする。その頃は、パソコンも、ワープロもなく、週報や教会報はガリ版を使い、輪転機で印刷をした。今は、パソコンを使い、ずいぶん楽に週報を作れるようになった。


明後日の説教箇所は、わかりにくい箇所がある。説教者泣かせの箇所。今週は説教準備にずいぶん時間を取った。夜中に目が覚めたときも、あれはどういうことなんだろう、と考えたりした。苦労は多いが、楽しい。