クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 NHK Eテレで「世界の哲学者に人生相談」という番組があります。先日はテーマが「死」でした。悩みとして「子どもの時から、死の恐怖で悩んできました。正直、死ぬのが怖い。この恐怖から解き放たれて生きていきたい」。「死んだら自分って完全になくなるのでしょうか。そう考えると不安がとまりません。どうしたらいいでしょうか」というものでした。その他「自殺はいけないの」とかのテーマもありました。


 司会者が「死の恐怖がありますか」と三人のゲストに尋ねます。ゲストの答えを紹介します。40代のタレントの女性は

「私は正直あんまりない。自分がもし死んだら、おじいちゃん、おばあちゃんに天国で会えるんじゃないか。知らないところへ行くわけじゃないって思っています」。

若いモデルの方の答えは、

「全然怖くないというか、死んだら感情がなくなるので別にどうも思わない」。

自分がなくなっちゃうということはどう思うと聞かれたこのモデルの方は、

「なくなったらなくなったという感じですね。死んだらなくなると思っていたほうが人生楽に生きていけそうじゃないですか」。

50代の男性の俳優は

「子供の頃は自分は死なないものと思っていた。・・・まだ起こっていないのに、俺、いつも言っているんだけど、物事って起こってから考えればいいって。死なんてその究極でしょ。そこから考えてもいいでしょ」。

 死については、人はそれぞれの考え方をするものだなと思いました。私は、子どもの頃から死の恐怖に悩んで、この恐怖から解き放たれたいと願い、最終的にキリストを信じる信仰にたどり着きました。死の恐怖を抱いたから、信仰にたどりつきました。死の恐怖を抱いたこと、それは僕にとっては恵みでした。


 信仰者には死を越える希望があります。「永遠の命が与えられます」と教えても、死の恐怖から解き放たれたい人は、「分かりました」とは言えないと思います。知識ではなく、心が納得することが必要なんです。だから信仰者でも永遠の命を「信じるしかない」と言う人もいます。心では納得していないのだと思います。


 死の恐怖で悩む人が教会に来てくれればいいと思います。その場合、「喜んで死んでいける」という信仰に生きている人が教会にいるといいな、と思います。牧師を引退した今、「どうしたら喜んで死んでいけるか」は、僕が取り組んでいるテーマの一つです。


 大学を卒業してサラリーマンになりました。ある時同僚と喫茶店で話していたとき、彼は「死ぬのが怖い」と話したのです。それで僕は、自分だけではなかったのだと思い、ある意味安心しました。恐れをもつ自分がおかしいのではないかと思っていたからです。


 金沢にいたとき、北陸学院というミッションスクールで、毎年朝の礼拝説教を2、3回担当しましたが、自分が死を恐れていたことを何回か話しました。きっと悩んでいる生徒がいると思ったからで、「君だけではないよ。大丈夫だよ」とのメッセージを伝えました。聖書はこの恐れから解き放たれて生きることができると教えていることを伝えました。説教を聞いた生徒たちの反応は分かりませんが、もし僕が生徒だったら、うれしく思ったと思います。


↑先日、双子の孫が遊びに来てくれました。わたしの机の前で目にするもの皆触っていました。