holalaのブログ

隠退(引退)牧師holalaのブログです。

聖霊の導きを求めて(7)

 私が求道者時代に、「行ってみたら」と言われて行った教会、異言の祈りがなされ、恐れを感じて私が逃げ出した教会、久遠キリスト教会の丹羽鋹之(としゆき)牧師の文章です。天城の集会でのお話しですが、開会の祈祷会では、異言での祈りがなされたようです。以下『砕けたる霊魂の祈り』(丹羽鋹之著、憩のみぎわ社)からの引用です。

聖霊経験を境として

 今回はじめてこの天城の集会においでになりました兄弟姉妹、また、まだ教会へも行ったことのない方々もいくらかいらっしゃると思いますが、先ほどの開会の祈祷会におきまして、どうであったでありましょう。そういう方々の中に何かつまずきはなかったでしょうか。あるいは何か疑問を持たれたのではないでしょうか。あるいは今まで信仰してきたその生活に、何か揺さぶりをかけられたという、そんな思いをされたのではなかったでしょうか。いろいろな思いがあったと思います。

 私たちの集まりは、はじめからこのような集まりではありませんでした。私の信仰の生涯におきまして、昭和のはじめから今日に至る信仰の生涯におきまして、昭和26年の6月25日を境といたしまして、私の信仰の歩みが大きく変えられました。従って私たちの集まりがその時から変化を来たしたわけであります。それ以前の集会は無教会的な集会でありますから、聖書研究、聖書講義一辺倒でありました。騒がしい祈り、感情をむき出しにした、あらわにした、そういう集まり方、それは私たちの集会には全く見られないところでした。今でも無教会の集まりはそうでありますが、私たちの集まりも、私たちというよりも私のあり方もまさにその通りでございました。

 第一、26年以前、戦中あるいは終戦直後の私が、先ほどのような集会にもし出たら、大きな反発を感じ、みんなが燃えれば燃えるほど、私は冷えていったに違いありません。そういう経験もしたことがあるのです。だからそういう人があったんじゃないかと思うのであります。あるはずだと思うのであります。

 しかしそうした中で、私自身の信仰の歩みにおいて、あるいは集会のあり方において、非常な空白、行き詰まり、重荷、苦しみが起こり始めました。そうして私は自分の信仰の歩み、あるいは集会のあり方になお一つを欠いているものがある、ということを気付かされてまいりました。それは、理論においては、あるいは理屈においてはよく分かったつもりであっても、自分にはなまなましい聖霊の生きた経験が無いのではないかということです。今までは、あまりに聖霊を口にし、聖霊、聖霊というそうしたあり方に対して非常に反発を感じてきた。もう信仰のはじめから私たちは聖霊に導かれ、受けているんだ。今さら聖霊、聖霊と騒ぐのはどういうことなのか。そういう思いでありました。しかし自分の様々な問題に直面して、そうして自分の弱さを感じてきた時に、そういった事は言っておられなくなった。正直言って自分の中には、まざまざとした生きたキリストの経験がない。即ち聖霊の経験がない。”なんぢ尚ほ一つを欠く”という、この求めが切になってまいりました。それが26年のはじめ頃からであります。それで祈り求めたのであります。そして26年6月の25日、夜10時半頃から祈り始めました。およそ12時頃に及んだ時、即ち25日から26日にかけての頃、俄然わたしのうちに聖霊が具体的に働き始めて下さったのであります。

 それから私の信仰が変わりました。かつて神の愛が理屈であった。聖霊も理屈であった。しかしそれから神の愛がこの胸にこたえ、この身にこたえる事実となり、ありがたく、うれしく、故に強く力を感ずるようになりました。一面には、そうした私の変わり方に反発をもって、この小さな集まりを去る者も起こりました。また、ごく身近な者の中からも起こりました。しかし事実をどうすることも出来ない。そしてさっき申しましたように自分自身、自分はたしかに変わった。けれども他の者に対しての思いやりと言いますか、よく言えば思いやり、悪く言えば自分をかばうかばい、気がね、これをあらわにあらわしたらこの集会はどうなってしまうだろうか--というようなところから、私の消極的ではありますが聖霊にある歩みが始まったわけであります。

私が求道者の時、それは1972年頃だと思います。丹羽牧師が聖霊体験をしたのは昭和26年、1951年となります。