「聖霊の導きを求めて」と題して、私自身のもがきを紹介してきました。結論として私が得た確信は、聖霊なる神さまは私のうちにおられるということでした。しかし聖霊が私の内におられることはすでに聖書が語っています。
その当時の私は、信仰がどういうものであるのか、まだ分かっていませんでした。信仰とは、神の言葉は真理であると信じること、そして神の言葉によって生きること、歩むことです。
そのことを私はずっと前から頭では知っていました。私が大切にしているハイデルベルク信仰問答は、問26で「まことの信仰とは何ですか」と問います。そして次のように答えます。
それは、神が御言葉において
わたしたちに啓示されたことすべてを
わたしが真実であると確信する、
その確かな認識のことだけでなく、
福音を通して聖霊が私の内に起こしてくださる、
心からの信頼のことでもあります。
まことの信仰とは何か、ハイデルベルク信仰問答の教えることを私は頭では知っていました。その語ることを理解できているつもりでした。しかし身についていませんでした。実際に応用できませんでした。
私の信仰の歩みにおいて大きな課題は「確かさ」「確信」です。神が存在するとの確信、天国が存在するとの確信、神さまに信頼して大丈夫だとの確信、聖霊によって自分が新しく生まれているとの確信などなど。このような確信をいかに持つことができるのか、それが課題でした。
やがて分かったことは、このような確信を自分の力で、努力で得ることはできないということです。そうではなく、聖書が語ることが真理、ここに私たちの確信の根拠があるということでした。そしてハイデルベルクが語る「確かな認識」を持つことができるようになりました。この確かな認識は聖霊によるものと信じています。
聖書が語ることが真理という確信に立ち、御言葉に対する信頼を持つことができるようになりました。これは聖霊が私の内に起こしてくださる心からの信頼です。この信頼に立ち、私はデボーションを通して御言葉に生きるようになり、聖霊との交わりに生きるようになりました。