友あり 遠方より来たる また楽しからずや
これは言うまでもなく聖書の言葉ではありません。孔子の言葉とされているものです。昨日、3名の信仰の友がわが家を訪ねてくださいました。1時間ほどお茶を飲みながらおしゃべりをし、その後は、私がいつも散歩する道を共に歩きながら、奈良の自然を味わいながら、おしゃべりをしました。2時間余りしか共に過ごすことはできませんでしたが、近況を語り合い、再会を喜び、共に祈り、幸いな時を過ごしました。
お互いに歳をとりましたので、また会えるかどうかは分かりませんが、再会を願って客人を駅まで送って別れました。
先月和歌山県のG教会での「召天者記念礼拝」に説教の奉仕をしました。礼拝後ひとりの姉妹が、私は神の国での娘との再会を楽しみにしていると話されました。娘さんは若い時に亡くなられたとのことです。信仰はもっておられたので神さまのもとでの再会、この上もない楽しみにされているようでした。
歳をとり、だんだんと親しい人、大切な人との別れを経験しなければならなくなります。私はこれまで、神の国での親しい人との再会を楽しみにするという思いは持っていませんでした。親しい人より、神さまご自身との顔と顔を合わせるような出会い、イエス様との出会いを楽しみにしていました。そして今回、親しい信仰の友との出会いを楽しみにしたいと思いました。
よい時を、神さまありがとう。