洗礼を受けてクリスチャンとなった人は、新しく生まれ変わりました。新しく生まれた人として生きていきます。新しく生まれた者とされました。喜ぶことができるといいですね。
ペトロ一1:3~4
わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。
(1)信仰によって生きる
多くのクリスチャンは、自分が新しく生まれた者であるとなかなか信じることができないのではないかと思います。実感できないからです。自分のどこが新しくなったの、と思うかもしれません。私たちは信仰者です。信仰に生きることを覚えてください。実感は後からついて来ます。信じることから始まり少しずつ実感するようになります。
ローマ1:17
福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
(2)新しく生まれた人の特徴
新しく生まれた人の特徴は、神さまに信頼し祈ることです。信仰を持つ以前の私たちは、神に信頼することも祈ることもしませんでした。神に信頼し祈ることは、私たちが新しく生まれた人であることを示しています。
エジプトから解放され、神の民となったイスラエルの民に必要なことは神に信頼することでした。荒野の旅で困難が起きた時、神に信頼して助を祈り求めればよかったのです。でも彼らはそうしませんでした。神を信じているのに困難が起きるなんて思っても見なかったと不平を言ったのです。神を信じているとは言えません。
(3)新しく生まれた人の自覚的な行動
信仰を持つ以前の古い人を脱いで古い行いを捨て、新しい人を着て、新しい人として行動するように勧められます。クリスチャンは古い人を脱ぎ捨て新しい人を着て、段々と新しく生まれた人になっていきます。
エフェソ4:17~24
そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
コロサイ3:7~10
あなたがたも、以前このようなことの中にいたときには、それに従って歩んでいました。今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。
(4)5点でも10点でもいい
生まれたばかりの赤ちゃんは立つことも歩くこともできません。もちろん走ることもできません。だんだんとできるようになっていきます。新しく生まれたクリスチャンもそうです。少しずつ新しい人になっていくのです。クリスチャンとしての私たちの姿を評価する時、5点でも、10点でもいいと私は思っています。80点や100点を取らなくてもいいのです。少しずつ前進すればよく、その前進を喜びます。赤ちゃんが大人になるまで20年はかかります。クリスチャンの成長も時間がかかります。
(5)御言葉に生きる
ペトロ一1:23
あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
私たちは神の言葉によって生まれ、神の言葉によって歩むことによって、新しく生まれた者として生き続けていきます。そこにクリスチャンとしての成長があります。聖書に親しみ、御言葉によって生きるのです。
ヤコブ1:22
御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。