クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

信仰には奥行きがある

 神学校に通い始めた時、一人の先生が神学生に問いを投げかけました。「人は行いにより救われるのではなく、信仰によって救われると教えられていますね。そこで質問です。信じるというのは人間の行為ではないですか。そうなら、行いによって救われることになりませんか」。

 私は洗礼を受けて一年後に神学校に入学しました。この問いに答えることができるほど聖書の知識がありませんでした。先日、教会で「聖書協会共同訳」に関する講演会があり、講演を聞きながら、神学生の時のことを思い出しました。そして、あの時の問いに対する答えを見つけていたことに気づきました。

 それに対する答えは、信仰には二つの面があるということです。言い換えると信仰は、「信じる」という個人的な決断つまり人間の行為という側面と神からの賜物という側面があるということです。

 私たち信仰者は、自分が信じられる範囲のことを信じており、その範囲を超えることは信じることができないでいるという現実があります。たとえばキリストを信じる人は自分の罪が赦されることは、多くのキリスト者が信じています。ではキリストを信じる人は罪から解放されています。これはどうでしょうか。これはあまり信じられていないと思います。

ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 よく知られたこの聖句は、独り子を信じる者は永遠の命を得るが、信じなければ滅びることを語っています。独り子を信じない者は皆滅びる、このことを信じているキリスト者も多くはないと思います。

 聖書は真理を語ります。自分が信じることができる真理とまだ信じることができない真理があります。その信じることができない真理を信じることができるようになるとするなら、それは神の賜物ということができます。
 信仰生活とは、信じることができる真理が増えていき、神の賜物を豊かに受けることと考えることができます。信仰には奥行きがあります。

哲学の道(京都)