クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神の愛を知る(7)自分を与えるキリストの愛

 一昨日の日曜日、教会で聖餐式が行われました。カトリック教会ではミサと言いますが、私たちは聖餐式と呼びます。パンとぶどう酒が配られ、いただきます。これは主イエスが「わたしの記念として行いなさい」と命じられたものです。

ルカ 22:19~20
それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

 パンとぶどう酒は、十字架の上で槍で裂かれた主イエスのからだ、流された主イエスの血を表しています。パンとぶどう酒をいただき、主イエスが私たちの救いのために命を献げてくださったことを思い起こします。そして主イエスが、私たちを愛し、命を献げてくださったことを覚えます。

 パンとぶどう酒が私の体の中に入ります。私は主イエスが私の内に住んでくださると信じています。

ヨハネ 14:18~20
わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。
しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。
かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。

 主イエスは、十字架で亡くなり、世を去ります。しかし復活され、弟子たちと再会されます。主イエスは、私のうちにいてくださるとの約束がここにあります。主イエスは共にいてくださり、私は主イエスと結ばれて歩む幸いを与えられています。主イエスは私を愛し、死んでくださっただけではなく、私と共に生きてくださいます。

ガラテヤ 2:20
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。

サンシュユ 馬見丘陵公園