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隠退牧師 holala によるブログ

わたしが求めるのは憐れみであって

 今朝は、マタイ福音書12章1~8節をディボーションしました。マタイ福音書は11章から12章では、イエスの活動が理解されない状況が描かれています。この箇所では、イエスの活動に対するファリサイ派の非難が描かれています。

 ある安息日、イエスは麦畑を通られました。空腹になった弟子たちは、麦の穂を摘んで食べました。それを見ていたファリサイ派の人たちはイエスに、あなたの弟子たちは安息日にしてはならないことをしていると非難しました。モーセの十戒には、「安息日を心に留め、これを聖別せよ」とあります。聖別せよとは、この日を神のために特別な日としなさいとの意味で、仕事をしてはならないとの戒めです。麦の穂を摘んだことは仕事に当たると言って、ファリサイ派の人たちはイエスを非難したのです。

 これに対して、イエスは次のように答えました。

 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。

 神にいけにえを献げることは大切だが、他者に対する憐れみを忘れるようでは、どんなにいけにえを献げても神に喜ばれないとイエスは語りました。何が大切なのかを見極めることが大切です。

 これを読んで思ったことは、世界で行われている戦争です。戦争を行う人たちは、自分たちの正しさを主張し、自分の行為を正当化します。相手はどうなってもよいのです。他者に対する憐れみを考えていません。考えているのは自分の正しさを主張し、自分の思い通りに物事を動かそうとする国家エゴです。権力者エゴです。

 お互いに相手を大切にし、共に平和を生きる道を模索せず、相手を抹殺して自分の思い通りに生きようとする戦争遂行者は憐れみの欠如した人たちであるとあらためて思わされます。

 ウクライナ、ガザでの戦争が今年もいつまで続くのでしょうか。他の地域でも戦争が行われており、生命を失う人、難民となって苦しくつらい生活をする人たちが沢山います。福音が今一度世界中に宣べ伝えられ、平和を求める世界になってほしいです。

萬葉植物園 2023.01