本日のメッセージ(2007.7.1)
コリント一7:25〜40 結婚について
7:25 未婚の人たちについて、わたしは主の指示を受けてはいませんが、主の憐れみにより信任を得ている者として、意見を述べます。
7:26 今危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます。つまり、人は現状にとどまっているのがよいのです。
7:27 妻と結ばれているなら、そのつながりを解こうとせず、妻と結ばれていないなら妻を求めてはいけない。
7:28 しかし、あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません。ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです。
7:29 兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、
7:30 泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、
7:31 世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。
7:32 思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、
7:33 結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、
7:34 心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。
7:35 このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。
7:36 もし、ある人が自分の相手である娘に対して、情熱が強くなり、その誓いにふさわしくないふるまいをしかねないと感じ、それ以上自分を抑制できないと思うなら、思いどおりにしなさい。罪を犯すことにはなりません。二人は結婚しなさい。
7:37 しかし、心にしっかりした信念を持ち、無理に思いを抑えつけたりせずに、相手の娘をそのままにしておこうと決心した人は、そうしたらよいでしょう。
7:38 要するに、相手の娘と結婚する人はそれで差し支えありませんが、結婚しない人の方がもっとよいのです。
7:39 妻は夫が生きている間は夫に結ばれていますが、夫が死ねば、望む人と再婚してもかまいません。ただし、相手は主に結ばれている者に限ります。
7:40 しかし、わたしの考えによれば、そのままでいる方がずっと幸福です。わたしも神の霊を受けていると思います。
今日の聖書は、結婚を考える時、一番大切なことは主に仕え、主に喜ばれることであることを教えています。
このコリントの信徒への手紙を書いている時、パウロには、終末が近いという認識がありました。終末を前にしてどう生きるか、という問題認識があるのです。
「今危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます」(26節)。
「定められた時は迫っています。今からは」(29節)。
こういう状況の中でパウロは結婚について書いています。彼の考えの原則は、
「現状にとどまる」(26節)
のがよいということです。
未婚の人は結婚をしないのがよいと書いています。そして結婚しても罪を犯すわけではない、とも述べます。結婚すれば苦労が増えるので、苦労させたくないという気持ちから、結婚しないで現状のままがよいと述べています。終末を前にしての生き方を具体的に述べています。
現状に留まるのがよい理由として二つの理由を挙げます。一つは、終末近く、この世の有様は過ぎ去るからと述べます。終末が近いから、夫婦関係のことに気をつかうな、悲しみがあっても泣かず、慰められることを期待しよう。「悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる」とある通りに。喜ぶ人は喜ばずに、むしろ天国の喜びを思いなさい、この世のことにこだわらないように、と述べます。
現状にとどまるもう一つの理由は、主を喜ばせるという視点です。信仰者の生き方として、
「主に仕え」(35節)、「主に喜ばれる」(32節)
とあります。これについては、まず「思い煩わないでほしい」と述べます。思い煩うとは、あれにしようか、これにしようか、と心が二つに分かれることを言います。結婚している人は、どうすれば主に喜ばれるか、どうすれば妻に喜ばれるか、と二つのことに心を遣い、思い煩いやすいのです。ですから未婚のままの方が、「ひたすらに主に仕え」ることができるので、望ましいのです。
パウロは
「わたしは主の指示を受けてはいませんが、主の憐れみにより信任を得ている者として、意見を述べます」(25節)
と書き、以下述べることは、パウロの個人的な意見として、判断はコリント教会にゆだねています。現状にとどまるのがよいが、結婚しても罪を犯すわけではない(28節)と選択の余地を残しています。
「ある人が自分の相手である娘に対して、情熱が強くなり、その誓いにふさわしくないふるまいをしかねないと感じ、それ以上自分を抑制できないと思うなら、思いどおりにしなさい。罪を犯すことにはなりません。二人は結婚しなさい」(36節)。「あなた方のためを思ってのことで、束縛するためではない」(35節)も判断をゆだねる言葉です。
今日の聖書は、終末が近いという特定の状況の中での信仰者の生き方が語られていますから、そのまま、私たちに適用することはできません。
「独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣います」(32節)
とありますが、今なら、独身の男性は、結婚相手を見つけることに大きな関心を持つでしょう。
パウロが物事を考える時の根本を知ることが大切です。
パウロには主に仕え、主に喜ばれる生き方をすることが重要
という基本的考えがあります。この原則から、終末が近ければ、主に仕えるために、現状にとどまるのがよいと述べているわけです。終末が遠いなら、積極的に結婚を考えてもよいことになります。
信仰者にとって「主に仕え、主に喜ばれる生き方をする」という前提があるのです。そこで、私たちもその前提から考えればよいのです。
結婚をする場合、あるいは結婚生活を営む時、主に仕え、主に喜ばれるという原則の下に結婚生活を築くことが大切です。エフェソの信徒への手紙には夫婦に関する教えがある。夫に対する教え、妻に対する教えが共に主イエスと関連づけて教えられています。
結婚生活には苦労が伴います。夫婦関係、親子関係をよい関係にするには努力が必要です。よい関係が築けないと、不満、怒り、争いが増えまする。苦労を負いながら、主に仕え、主に喜ばれる生き方をするのです。簡単なことではありません。夫婦間での赦し、赦されることを経験しなければならない。相手の求めに応じ、相互に仕えあうことも必要です。そう言うことの中で、主に仕え、主に喜ばれる生き方をしていきます。独身であれば、そういう苦労はないかも知れません。そういう苦労を主に仕え、主に喜ばれる生き方で背負っていくのです。これが結婚する人たちの生き方で、尊い生き方です。
他方、独身という生き方もあります。主だけに心を向けて、主に仕え、主に喜ばれる生き方をすることができ、これも尊い生き方です。
いずれにしろ、大切なことは、主に仕え、主に喜ばれる生き方をすることです。
<結婚している人々へ>
- 主に仕え、主に喜ばれる家庭を形成しているかどうか。
- どこに課題があるのか。どんな問題点があるのか。
- 解決するにはどうしたらよいのか。
- 結婚生活がさらによいものとなるためにどうするか、夫婦で語りあってはどうか
<独身の人々へ>
- 独身という賜物が与えられ、主に仕え、主に喜ばれる生き方をする道があります。
- 主に仕え、主に喜ばれる歩みをする中で、配偶者との出会いを与えられることもあります。
- どちらにせよ、神に祈りつつ歩みましょう。