クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖書 マタイ13章

内容観察
 特に種まきのたとえを覚えた。良い土地とは、御言葉が生活に根を張り、試練に耐え、誘惑に打ち勝つ信仰者であり、思い煩い、富への誘惑は、偶像礼拝との戦いでもある。

静聴

教え>御言葉が奪い取られないようにする。そのためには、み言葉が根を張ることが大切。

  • 御国の言葉を聞いて悟るとはどういうことか。道ばたに蒔かれたもの、とは心に蒔かれた種を奪い取られることをいう。心に蒔かれた種ではあるが悟らないために、また他の思いが心に入り込んでくるうちに消えてしまう。心の中にとどめておく努力が必要となる。それは心の中で、御言葉が根を張るようにするということである。

教え>試練こそ、御言葉の真理を知るチャンスである。

  • 石だらけのところに落ちた種は、根を張っていないために、枯れてしまう。患難や困難が起こると躓いてしまう人のことである。
  • 患難や困難は、御国の言葉が根を張っているか否かを試すものでもある。植物は日照りで枯れるが、我々は問われる。患難や困難は試練であり、御言葉に立つか立たないかを我々に問うものでもある。御言葉に立とうとするか否か。御言葉に立つために、我々は試練を必要とするとも言える。
  • ルターはそう言っている。「試練は、試金石であって、すべての知恵を超える知恵である神のことばが、どれほど正しく、どれほどまことで、どれほど心地よく、好ましく、どれほど強く、どれほど慰めに満ちたものであるかを知り、そして理解するように教えるばかりでなく、また体験するように教えるものである」。

命令>偶像礼拝に陥ってはいけない。

  • 試練に耐え、根を張って成長したからといって実りが約束されているわけではない。茨の中に蒔かれた種は、茨に覆われて実を結ぶことができない。世の思い煩いや富の誘惑に惑わされてしまうのである。ここで主イエスは、我々にとって、信仰にとって危険なものとして思い煩いと富の誘惑をあげる。
  • 思い煩いは、物事を自分でコントロールしたいという思いがどうにもならないことから生じる。物事を自分の支配下におけるのは神だけであり、思い煩いは、神になりたいという思いと一つである。神になりたいと願うところから生じるのである。まことの神に信頼する時に思い煩いは消える。
  • 富の誘惑は、誰に仕えるのか、を問う。主イエスは、人は神と共に兼ね仕えることはできないと教えた。神に仕えるのか富に仕えるのか、の決断が問われる。神に仕える者には、茨は生えない。もしくは生えた茨は枯れていく。自分を神とするのではなく、富を神とするのでもなく、神を神とすることが大切である。

教え>良い土地の人になろう。

  • 良い土地とは、御言葉の種を受け取ったら、その種が生活の中で根を張り、試練が起きても躓くのではなく、御言葉の確かさ、真理を体験し、さらには偶像礼拝の誘惑を断ち切り、まことの神をまことの神として畏れ敬い従う人のことである。その人が豊かな実を結ぶ。御言葉が生活の中で根を張り、試練に耐え、誘惑に勝利する。すると豊かな実を結ぶ。


実践のための祈り

 天の父、今のわたしには、心配事が襲ってきます。パウロは「諸教会の心配事があり、誰かが弱っているなら、自分も弱ってしまう。誰かが躓くなら、心を燃やす」と述べています。教会員のことが気になります。わたしを思い煩いに陥らないように守ってください。そして教会員や妻が支えてくれていることを思い、感謝です。心配事が多い、それは試練です。でも今は、一人で心配をするのではなく、神の家族として、共に心配し、祈ることができることをうれしく思います。
 天の父、あなたの助けと導きを心から願います。今日は、手紙を書き、覚えて祈ります。今朝の導きを感謝し、主の御名により祈ります。


今日すべきこと

  • ○○さんに葉書を書く。
  • ○○さんに葉書を書く。
  • ○○さんを覚えて祈る。