「あなたがたは地の塩である」。「あなたがたは世の光である」と主イエスは話されました。塩が塩気を失えば役に立たなくなります。ともし火を升の下に置けば、ともし火の役割を果たせなくなります。キリスト者がキリスト者として歩み、世の人との歩みの違いを世の人に知らせることができれば、地の塩、世の光としての働きをしていることになります。 キリスト者がそのような歩みをしなければ、その人はキリスト者と名乗ってはいるものの、主から見れば役に立たないキリスト者となります。自分は主の目に役に立っているキリスト者なのか否か、吟味を迫られます。
キリスト者がキリスト者らしい歩みをし、世の人との違いをはっきりさせるような歩みはどのようにしたらいいのでしょうか。キリスト者と世の人の違いを明確にするのは聖書です。キリスト者は聖書を自分の歩みの指針とします。世の人は聖書を知らず、自分の思いによって生きています。キリスト者が御言葉によって生きるなら、世の人の歩みとの違いがはっきりすることになります。
そのキリスト者の歩みを見た人が、天の父なる神を崇めるようになることが目標であると主イエスは教えます。高い目標であると思います。自分には無理だと考えることなく、この目標に向かって歩みたいです。どこまでできるのかではなく、目標目指してひたすら歩みたいです。私たちがみ言葉によって歩み、神さまをたたえる歩みをし、主に喜ばれる者として歩みたいです。