年をとって神の国が近くなったせいか、讃美歌の歌詞が心に響きます。讃美歌の歌詞は、信仰者の気持ちを表現しているものが多いからです。最近よく歌うのが、讃美歌219番です。
1.
おのが道 うちすてて
まさみちに きたらずや
世のひとよ もろともに
活ける主に たちかえれ
これは、信仰に入ることを勧める歌となっています。『讃美歌』では「伝道」に分類されています。内容的には悔い改めを勧める讃美歌です。
宗教改革者のルターはキリスト者の人生は悔い改めの人生であると語ったそうです。私の人生も振り返れば悔い改めの人生と言えると思います。それは信仰の成長に伴う悔い改めの人生です。悔い改めるごとに信仰が成長していくのです。信仰が成長するたびに、古い生き方を捨てていきます。いつも同じ罪を悔い改める、それを繰り返す悔い改めの人生ではなく、悔い改めの内容はその都度異なります。
最初の悔い改めは、具体的な罪の悔い改めです。喫煙をやめることにしました。神さまから管理をゆだねられた体を大切にするよう悔い改めに導かれました。具体的な罪の行為をやめることは、自分の心が清められるという感覚を持つことができます。
次は、悔い改めというより、神さまによって一つ上の段階へ引き上げられました。信仰の成長です。具体的には聖書を神の言葉と信じ、聖書を物事を考える土台にできました。人間の常識、経験から得た知恵、これまで自分の持っていた考え方ではなく、聖書によって物事を考えるように引き上げられました。その結果、人間的な思いで物事を考えることをやめ、聖書の言葉によって考える歩みを始めました。
次は、人を裁くことの悔い改めです。下の聖句がそのまま自分に当てはまりました。誰かを裁く思いが湧いてきたら、その思いを捨て、その人のために執り成しの祈りをするようにしました。裁く思いから清められました。
ローマ 2:1
だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。
自分の思いよりも神の御心を大切にする悔い改めも経験しました。神の御心を大切にする心は、聖霊の導きによると確信しています。また聖霊の導きを受けたしるしということもできると思います。
さらに信仰者として生きるとき、信じて大丈夫なんだという確信が欲しくなります。神に信頼する、神にゆだねるという決断をして生きるのは大切だと思いますが、信頼して大丈夫なのかという不安が生まれてきて、神にゆだねることより、いかにして確信を持つことができるのか、ということに心をつかう自分がいましたが、やはり信頼しゆだねる信仰に生きるように決めました。
悔い改めるとは、新しい歩みを始めることと理解します。
「おのが道 うちすてて」とは自分の古い生き方を捨てることであり、「まさみちに きたらずや」とは、信仰者として新しい歩みをすることと考え、この讃美歌の歌詞が心に響きます。