クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

老いの日々

 老いを生きるとはどういうことなのでしょうか。ある人がそれは、「死ぬまでの暇つぶしだ」と言ったそうです。思いがけない言葉でした。でもなるほどと思いました。そう思う人もいるんですね。

 老いの中にある人は、それぞれが違った状況におかれているので、老いをどう生きるかは人それぞれだと思います。自分は老いの中にある今をどう生きたらいいのか、それぞれの人が、それぞれの答えを出して生きていくのだと思います。

 私自身は、目標をもって生きていきたいと考えています。でも老いを生きるとは、何らかの理由によって(病気、介護、死)現在の状態が中断されることがあるので、目標を目指す歩みがいつ中断しても差し支えのない小さな目標にすればいいと思います。

 たとえば私は料理をするので、おいしいものを食べたいと願います。高価な食材は使わず、ありふれた食材を使い、しかも美味しく食べることができるために、レシピを探索します。そして妻に「おいしいね」と言われたら、うれしいです。

 散歩をし、道端に咲いている花の写真を撮ることも小さな目標です。花の名前を覚えて、また君に会えたね、と写真を撮ることもやりたいことの一つです。神さまが、私のことを覚えてくださるように、私も出会う花の名前は確認をします。残念ながら覚えられません。花に出会っても、あれ、名前思い出せない、図鑑を見れば思い出せるな。それでよし。

 聖書のローマの信徒への手紙を少しずつ学ぶことも目標。信仰者として少しでも御子キリストに似ることも目標。神さまに日々祈ることも目標。讃美歌を歌って信仰に生きることの励ましと慰めを得ることも目標。神さまをたたえ、一日を感謝をもって終わること、これも目標。

 ささやかな目標を達成しながら、感謝しつつ歩む、それが今の目標。この積み重ねで、神の国の希望を確かにすることも目標。

 小さな目標を掲げ、それを実現しながら日々の生活をしていきたい。そんな心境のこの頃です。

散歩道