クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

我が国の憲法の第九条は以下の通りである。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この憲法九条の精神は尊い。聖書には、

平和を実現する人々は、幸いである。
その人たちは神の子と呼ばれる。

平和とは、関係の平和を意味し、夫婦の平和、親子の平和、国内の平和、国家間の平和など様々な平和を考えることができる。日本国憲法は、軍事力によらない平和を希求することを宣言している。それ故、平和を求める努力が求められる。どのようにしてその努力をしていくのか。


諸国家との関係の中で生きていく中で大切なことは、自分、特に自国の歴史に誠実に向き合うことである。第二次世界大戦において日本は、アジア諸国を侵略し、多くの犠牲者を出した。中国や韓国・朝鮮に軍隊を派遣したことは侵略に他ならない。侵略をしたことを認め、明確に謝罪する、これが隣国との平和な関係を築くのに、必要なことである。過ちは謝罪し、二度と行わないと約束する、そこから平和な関係が築かれる。隣国との誠実な関係を築くことなしに平和を希求していると諸国に認めてもらうことはできない。


しかし自民党の政治家が日本の軍事行動を正当化し、侵略ではないというような発言を繰り返していては、本当に隣国との平和を築く意志があるのかどうか、疑われても仕方がない。何度謝罪をすればいいんだ、と言う人がいるが、謝罪の気持ちが本音ではないという政治家の発言が続くのが問題である。現在の安倍首相の歴史認識では、隣国との平和な関係を築くことはできないし、本当に「国際平和を誠実に希求」する意志があるのかどうか、諸外国から疑問に思われるであろう。それなら憲法を変えて、軍事力による平和を求めるようにすればいいのか。

敵が攻めてきたらどうするの。自分の国は自分で守るもの。

まともな言葉に聞こえる。しかし人間の根本的な問題としての<恐れ>がここにある。人は恐れを持ちたくない。安心を手に入れたい。この心理が利用され、軍隊が必要との論理になっていく。平和を希求する姿勢を徹底的に示すべきことを憲法九条は語る。日本にとって、この九条は、上からの賜物である。


オオケタデ

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で長崎市長が平和宣言を語った。その中で、核兵器の非人道性を訴える共同声明に日本が署名しなかったことを市長は指摘している。唯一の被爆国の日本が署名しないのである。核の抑止力に守られている日本としてアメリカに遠慮があるのだろう。しかしこのことにおいても、今の日本が平和を真に希求しているかどうかが問われている。


平和を希求するチャンスがあるのに、今の政権与党はそれを踏みにじるのである。彼らは、この国が軍事力を持つ強い国になることを願っているのだろう、先日の参議院選挙において

「日本を取り戻す」

と安倍首相は語っていたが、どんな日本を取り戻そうというのだろうか。