代理出産を依頼した人が生まれた子供の引き取りを拒否したという記事が新聞に出ていました。生まれた子供は双子で、一人は障がいのある子で、この子の引き取りを拒否したというのです。代理出産した女性がその子を育てると述べたと記事にはありました。どうしても子供がほしいという親の願い、そして生まれた子に障がいがあるから引き取らないという親の思い。これを身勝手ということができます。また無理もないと共感することもできます。
私が父親になった頃は、生まれてくる子の性別を知ることもできませんでしたし、まして胎内にいる子が障がいを持つ子かどうかを知ることもできませんでした。生まれてくる子を我が子として育てるだけです。生まれた子が障がいを持っていたために当惑している親に対して、
「神さまは、あなたがた夫婦なら育てることができるからと考えておられたのではないですか」
と語った人がいて、それを聞いて、子を育てる覚悟ができたという話を聞いたこともあります。困難な決意をする場合、それを納得できる理由を人は求めるのかもしれません。
私たちは自分の願いをすべてかなえることはできません。我慢しなければならないことも沢山あります。代理出産をどう考えたらいいのか。妊娠中絶、人工授精など、キリスト教倫理が取り扱う課題です。聖書に基づいて考える立場を私は取りますが、答えは一つではないように思います。
代理出産を依頼し、障がいのある子が生まれたから引き取らないというのは、身勝手だと僕は思います。そういう可能性を考えなかったのであれば軽率と言われてもしかたがないでしょう。事は生命に関わるもので、生まれてきた子を育てるか否か、選択する権利が親にあるとは思えません。代理出産なら引き取らなくていいという理屈に僕は納得したくないです。
以下は、インターネットからの引用です。
日本医師会は倫理上の観点から基本的に代理出産を容認していません。厚生労働省・厚生科学審議会生殖補助医療部会も2003年、代理出産は「人を生殖の手段として扱うものであり、子どもの福祉の点からも望ましくない」などの理由から禁止すべきだと報告しています。