説教者とされたことは大きな恵みだと考えています。多くの時間をかけて聖書を読むことができます。聖書を学ぶことができます。時に、自分の信仰にとって分岐点となるような説教をすることがあります。昨日の説教は、そのような説教でした。次のような言葉が与えられました。<聖書が告げる信仰は、神の真実を信じる信仰です>。神を信じると言うとき、神が真実であることを信じるということ。神は御自分が語る言葉に対して真実であるということです。あるいは神は、ご自身の約束を必ず実現する真実な方だということです。別に新しいことを発見したわけではありません。ただ自分自身の信仰上の課題から、言葉を与えられたと言ってよいと思います。
聖書が告げる信仰は、神の真実を信じる信仰です。
アブラハムは、あなたは大いなる国民となるという神の約束を与えられました。それは、彼が生きている間には実現しない約束です。でもその約束を彼は信じて、神が示す地に向かっての旅を始めました。何のために。
そして私たちも自分が生きている間には実現しない約束を信じます。何のために。終末の到来、最後の審判、神の国の実現。絵空事に思えるかも知れませんが、神の言葉として語られていることです。神はこれらのことをいつの日か実現される真実な方です。終末信仰が私たちには欠けていると思います。それが私たちの信仰を弱体化させているのではないか、と考えもします。終末とは、神がその姿をすべての人に見せるときです。神の存在がリアルになるときです。
神の真実を信じる信仰がどのようなものなのか、その信仰に生きることが課題として与えられました。