「地元議員さんへ声を届けよう」という会があり、メッセージを募集しているとのことで、メッセージを寄せました。今朝メールで、衆議院議員の馳浩議員に渡しましたとの連絡がありました。そのメッセージを紹介します。
それは責任ある態度なのか
安倍首相は、他の人が言わない言い方をします。たとえば「戦争に巻き込まれることは絶対ない」。「断じてない」「いささかもない」。「首相の私が言うのですから、間違いない」。
「絶対ない」などという言葉は、私たちは口にしません。なぜなら「絶対」と主張することはできないからです。原発の安全神話、それは「原発は絶対事故は起こしません」ということですが、事故は起きました。私たちは「絶対に起きません」とか「絶対起こります」とかの断定はできません。この世界に絶対は、一つしかありません。死です。人間はだれもが「絶対」に死にます。「死」以外に「絶対」はありません。戦争に巻き込まれる可能性が絶対ない、などとどうして言えるのでしょうか。想定外のことが起きることは先の大震災で私たちは経験しました。
それではなぜ、安倍首相は「絶対ない」などと普通人が口にしない言い方をするのでしょうか。一つには、大丈夫ですよと安心させる意図があるかもしれません。しかし、国会の審議の場でこの表現が出てくるのです。疑問点があるから質問しているときに、「絶対ない」と言われたら、次の議論を進めることはできません。つまり議論を拒否する言葉です。説明できないのです。安倍首相は、安保法案に対する理解が広まっていないことを承知しながら、説明すると言いながら、しかし議論は拒否するのでは、決して国民の理解は深まりません。
ということは安倍首相には、国民の理解はどうでもよいのではないでしょうか。国会で審議したというアリバイをつくり、あとは数を頼みにして法案を成立されるということです。要は自分の政治信念を実現させたいだけのことなのではないでしょうか。
将来、想定外の事態が起きて、「絶対ない」という事が起きたらどうするのでしょうか。原発の再稼働も安倍首相は推し進めようとしています。原子力規制委員会の田中委員長は、「私は安全だと申し上げてはいません」と語っています。リスクはあるのです。安倍首相は「原発事故が起きることは絶対ありません」と断言されるのでしょうか。これは断言しないと思います。
将来、想定外のことが起きたときには、安倍首相は、首相の地位にいないでしょう。ですから責任を取らないですみます。責任を足らないですむから、事を進めようとするのです。これは原発の再稼働を認める発言をする自治体の首長も同じです。つまりここにあるのは無責任なのです。そして将来、事が起きたときに、苦しむのは国民です。
無責任な政治指導者の行動に加担しないで欲しいと思います。政治家として、誠実で責任ある態度を全うしてほしいです。無責任が背後に潜んでいる安保法案は撤回すべきです。
8月8日記す
↑プランターで育てているオクラ。花が咲いた後、実がなりました。