イザヤ書の下記の言葉は、私にとって救いとなる言葉でした。
教会には、
- 牧師より聖書の言葉を知っている人がいました。
- 牧師より、すてきな祈りをする人がいました。
- 牧師より、深く考えることのできる長老がいました。
- 私にはできないを思わせる、良い説教をする牧師たちがいました。
私は深い劣等感に陥りました。しかし、そのような私も神に愛され、神さまは、私を牧師に召してくださったと信じることができて、心は晴れました。さらにうれしいことは、私と同じように、この言葉を受け入れ、自分の存在を喜ぶことのできる信徒が生まれたことです。
2015/10/06
石川地区青年の皆様、おはようございます。金沢元町教会牧師の堀江です。
<今日のみ言葉>
イザヤ書 46章3節
わたしの目にあなたは価高く、貴く
この<あなた>は、イザヤ書においては、イスラエル民族を指しますが、
これを読んでいる<あなた>に置き換えてもよいと思います。
イスラエル民族は、エジプトの奴隷状態から救われ、
神の民とされました。しかし神に背きます。
預言者は神に立ち帰るように語りますが、背き続け、
挙げ句の果てに、神の裁きを受け、捕囚の民となります。
そんなイスラエルの民に対して神はなお、
「わたしの目にあなたは価高く、貴く」と語られます。
そしてあなたにも。
あなたは何者ですか。
あなたのアイデンティティー、
それは神の目に、
価高く貴い。
あなたは価高く貴い存在です。
このことを一日思いめぐらしてみませんか。