クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

信仰告白の忘れられない言葉(3)続き

 イエス・キリストを「我らの主」と呼ぶ理由について問34の答えはイエス・キリストが私たちを罪と悪魔のすべての力から解放し、とあります。このことの証しを書いておきたいと思います。

①死の恐怖からの解放

「ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした」(ヘブル2:14~15)。

 人によって解放のされ方はそれぞれだと思います。私の場合は、死を越える希望を語る聖書の言葉が真実なのか、死ねば一巻の終わりと悪魔のもたらす考えが真実なのか。どちらが真実なのかを考え、聖書の言葉を真実として時、解放が訪れました。

②失敗することの恐れ

 牧師として色々な相談を受けることがあります。自分の力では解決が困難と思える時などは積極的に関わる気持ちになれない時があり、心に葛藤を覚えます。私の心の根底に失敗への恐れがあり、失敗してはいけないとの思いに心が支配されていることにある時気づきました。自分のプライドが失敗を恐れさせるのです。プライドを捨てることにしたら、心が自由になりました。プライドは悪魔の攻撃目標です。

③他者を批判する心

 他人を見ると、つい批判する心がわいてくるものです。教会内で誰かを批判の目で見るのは愛の欠如となります。牧師も罪人。長老や教会員を心の中で批判します。批判する代わりに執り成しの祈りをすることにして批判心からの自由を得ました。批判は悪魔の得意とするところです。悪魔のヨブに対する批判。

④色々な誘惑

 誘惑は戦ってはいけない。戦えば負けます。誘惑から逃げる・離れる。これを実行することによって誘惑に負けることが少なくなりました。誘惑は悪魔からきます。

⑤自己肯定感の欠如

 自分を卑下したり、劣等感を持ったり、自分はダメな人間だと思ったり、妬み、など。神さまが自分を神の子としてくださっていると知って牧師である自分を肯定的に受け入れることができました。

⑥空しさからの解放

知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。(ペトロ一1:18~19)

 聖書にあるように、空しさからも解放され、神に仕えて生きるという道を与えられ喜びをもって生きる人生を与えられました。感謝で、ありがたいことです。私にとって福音とは、解放であり自由です。ですから旧約の出エジプトの物語は忘れられない物語です。形は変わりますが、私自身の物語でもあるからです。

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散歩道にて ネリネ 別名 ダイヤモンドリリー