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隠退牧師 holala によるブログ

罪人の再生の始まり(13)アイデンティティーの確認(聖なる者)

 「聖なる者」が何を意味しているのかを知るためには、旧約聖書を見なければなりません。旧約聖書では「聖別」という言葉が、「聖なるものとする」という意味で使われています。創世記2章を見てみます。

創世記2:1~3
天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。 

  神さまは六日間で世界を造り、第七日には安息なさったこと、そしてこの日を聖別されたとあります。これに関連してモーセの十戒の中に安息日に関する戒めがあります。

出エジプト記20:8(新共同訳)
安息日を心に留め、これを聖別せよ。

出エジプト記20:8(新改訳聖書)
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

 七日目は、聖別されて特別の日になったのです。他の日とは区別された特別な日とされたのです。申命記5章にも十戒が書かれています。

申命記5:12~14
安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。 

  聖別された日、人はこの日には働くことをやめ休息します。仕事をやめて休息しなければならない日なのです。神は休息を命じられました。安息日は他の六日間とは区別された特別な日です。聖別されるとは、他のものとは区別されて「特別なもの」になるとの意味です。後に安息日は神を礼拝する日となりました。

 次に出エジプト記を見ます。イスラエルの人たちはエジプトで奴隷として苦しんでいました。神はイスラエルの民を解放し自由にするためにエジプトにおいて不思議な業、大いなる業を繰り返し行いました。そして最後の大いなる業に関連して、イスラエルの人たちにお命じになりました。

出エジプト記12:1~14
エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。
「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。
『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。・・・・これが主の過越である。
 その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。

 そして

出エジプト記13:2
すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。 

  イスラエルの民は、一歳の雄の小羊を殺し、その血を鴨居に塗りました。そのおかげでイスラエルの人たちの家の初子は神に撃たれるのをまぬがれました。そこで神は、イスラエルの人々の間で初めに胎を開くもの、それは人間であれ、家畜であれ、神のものだと主張されたのです。すべての初子は、他の生まれてくる子と区別されて神のものなのです。神に献げるのです。

 つまり聖別されるとは、他のものと区別され、神のものになるという意味になります。クリスチャンが聖なる者であるということは、クリスチャンはこの世にいる他の人々とは区別されて、神のものである、ということです。さらに言い換えるなら、クリスチャンは、神との交わりに生きる者であり、神との交わりに生きるように、そのために世の他の人々とは区別された特別な人であるということです。(つづく)

 

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ミヤマハコベ 春になると出会います。滝坂の道で