クリスチャンは罪から解放された存在です。罪から解放された、これはクリスチャンのアイデンティティーです。「罪から解放された」とは、どういうことでしょうか。聖書に基づき、次の三つのことで言い表されると私は考えています。
- 私はまったく罪を犯さない信仰者になったわけではない
- 罪は私に対する決定的な支配力を失った
- 罪の力は今も私に働いている
1.まったく罪を犯さない信仰者になったということではない
罪から解放されたとは、私たちがまったく罪を犯さない信仰者になったということではありません。それは私たちが神の御国に迎えられた時に実現します。この世にあって私たちには罪との戦いがあります。それ故、この戦いに負ければ、私たちは罪を犯します。
2.罪は私に対する決定的な支配力を失った
信仰を持つ以前の私たちは、罪の支配下にありました。
ローマ3:9~12
では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。次のように書いてあるとおりです。
「正しい者はいない。一人もいない。
悟る者もなく、/神を探し求める者もいない。
皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行う者はいない。ただの一人もいない
信仰を持つ以前の私たちは罪の支配下にあったので、罪を犯して生きていました。しかし今や、クリスチャンである私たちは罪の支配下から御子の支配下に移りました。罪は「キリストを信じる私」に対する支配力を失ったのです。
ローマ 6:14
なぜなら、罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。
コロサイ 1:13
御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。
私たちは闇の力から救い出されました。私たちは御子の支配下にあります。このことを信じ、本気で御子に助けを求めるなら、私たちは罪に打ち勝つことができます。ハレルヤ!
私たちは自動的に罪に打ち勝つ人間になったわけではありません。本気で神に助けを求めるなら、罪に打ち勝つことができるようになったということです。
3.罪の力は今も私たちに働いている
私たちに罪を犯させようとする力は、今も働いています。第一に誘惑があります。第二に私たちの心の中に自己中心的な心があり、罪を犯すことを許容する心が私たちにはあります。
罪に打ち勝って生きる道がキリストによって開かれました。あとはあなた次第です。