牧師として病気になった教会員、また教会員の家族で病気になった人のために祈ってきました。病気にはある程度治ることが約束されている病気があり、また治るかどうか危ぶまれる病気があります。癒やしを祈っても癒やされずに亡くなられたこともあります。
ある時教会員の姉妹の方が「息子がガンです」と言われました。まだ30代、結婚し小さな子供がいます。お母さんとしてはなんとしても治ってほしいとの思いです。私も一緒に祈る時は、聖書の言葉を引用して祈りました。たとえば
「イエス様のもとには病気を治してもらうために多くの人が来ました。イエス様は連れてこられた人を皆癒やされました。今私たちはイエス様の御名によって祈ります。是非、息子さんを癒やしてください」。
あるいは神さまを説得するように祈りました。
「息子さんはまだ若いです。これからの人生があります。小さな子供さんもおられます。家族の方々を悲しませないでください。是非癒やしてください」。
この息子さんは仕事上激務をこなしておられたようです。肉体にかなり負担を与えた結果、病気になったと推測されます。免疫力が弱まり、病気が進行しました。そして治療が行われ、病気との闘いが始まりました。辛い痛みを伴う治療がなされましたが、この若い方は亡くなりました。その時からしばらく私は病人のいやしのために祈る気持ちになれませんでした。落胆が大きかったからです。
病気の方のためにどう祈るのか、悩みます。今思うのは、病人の気持ちに寄り添う祈りがよいのではないかと思います。「今日は何を祈って欲しいですか」と聞くことができれば、一番いいと思います。
でも執り成しの祈りを頼まれた場合は、病気の方に直接会うことはありませんし、「何を祈ったらいいでしょうか」と聞くことにためらうこともあります。基本的には癒やしの祈りを期待されていますから。病人の気持ち、依頼した人の気持ちを考えながら祈ることになります。祈りには正解はありません。
神さまがソドムとゴモラの町を滅ぼすことを決めました。その時アブラハムは神さまに交渉をします。
創世記18:23~25
アブラハムは進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか」。
創世記 18:26
主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」
アブラハムは神と交渉をし正しい者が10人いれば、神は滅ぼさないと約束されました。神は交渉に応じられる方なのです。だから私も病者のために祈る時、どのように交渉したらよいかを考えたりします。もちろん、神さまの憐れみにおすがりした上でのことです。