今日はマルコ福音書の5章1~20節を読みました。汚れた霊に取りつかれた人が登場します。彼は足枷や鎖に縛られましたが、それらを砕き、墓場で暮らしています。石で自分を打ちたたくなど悲惨な生活をしています。
汚れた霊に取りつかれるということがどういうことなのか私には分かりません。彼は何らかのかたちで暴力を振るい、近隣の人から問題視されました。周囲の人たちから受け入れられず、足枷や鎖でつながれるなどの目に遭わされました。しかし足枷や鎖を砕き、彼は墓場で生活し、人々から離れ孤独な生活をしていました。そして自分を石で打ちたたくなど、自分を傷つけるような生活をしていました。そんな彼を見てイエス様は憐れに思い、彼から汚れた霊を追い出し、彼をそのみじめな生活から救いました。
一ヶ月ほど前、大阪ビル放火殺人事件が起きました。容疑者は死ぬつもりでビルの中にあるクリニックに行き、ガソリンを撒いて火をつけ、20数名の犠牲者を巻き添いにし自ら死にました。なぜ全くの他人を巻き込んで死のうとするのか、なぜそのような思いにとらわれるのか、それは分かりません。確かなことは、人を巻き添いにして死のうとの思いにとらわれてそれを実行したことです。過ぐる15日、大学入学共通テストの日、試験会場で少年が刃物で3人の人を切りつける事件を起こしました。彼もまた死ぬつもりだったと言います。
人がある思いにとらわれ、その思いから抜け出ることができず、その思いを行動に移し、とんでもない結果をもたらすことが頻繁に起きるようになりました。悪しき思いにとらわれ、行動に移し、他者を巻き添いにして自分を破滅に追い込む姿を見て、私は自分を石で打ちたたく汚れた霊に取りつかれた人と似ていると思いました。
あらためて、悪しき思いにとらわれている人のために祈りたいと思いました。とらわれから解放されるように、他者を巻き込み自滅行為に走らないように。彼がイエス・キリストに出会い、新しい思いを抱いて生きていくことができるように。