先日、自分の老いをまざまざと感じさせる出来事がありました。自動車の免許の更新のために、認知技能検査を受けるように通知が来ました。認知症の心配はないと判断され、次は高齢者講習会です。簡単な講習を受け、実際に運転をしてチェックされました。これは講習なので、合否はなく、運転の問題点の指摘を受けました。最後は視力の検査。4つの項目の検査があり、総合評価は、5段階評価でオール1。免許の更新できるのかと不安になりました。
免許の更新には、70才以上の人には高齢者講習が必要で、75才以上の人はさらに認知技能検査が必要となっています。高齢者の交通事故が報道される中、必要なことだとは思いますが、身体能力の衰えを実感させられます。老いた人間は弱さを背負うことになったということでしょうか。運転する場合は、他の人よりより大きなリスクを背負うことになります。
老いて弱さを抱えることを情けないなと感じる人もいることと思います。私も少し感じます。あらためて自分が弱くなり足りない点が増えることは、人間としての価値、存在意義が薄れることにはならないと考えます。老い、これは人間の一つの存在の仕方であり、老いのゆえに考え方、生き方、生活が変わる面はあると思いますが、自分を低く評価する必要はないと思います。老いた人がもつ経験の豊かさ、身につけた知恵、信仰は敬うべきものがあります。
信仰的に考えれば、生きる支えとして聖書をよく読み、また讃美歌を歌い、祈り、神との交わりが深まる時期ではないかと思います。弱さがあるゆえに神との関わりが真剣になるのは恵みだと思います。このような恵みの豊かな老いを生きていきたいと願う今日です。
老いて初めて気づいたことがあります。それは讃美歌には、老いの中にある人の思いが歌われていることです。これは老いた者には、励ましであり慰めです。最近気に入っている讃美歌の歌詞を紹介します。
讃美歌11番3節。
生くるも死ぬるも ただ主を思う
ゆるがぬこころを あたえたまえ
何があっても動じない心ではなく、神への信頼の中で揺るがぬ心がどんなものなのか、味わいたいです。