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隠退牧師 holala によるブログ

聖書を読むことができる幸い

 昨日、奈良高畑教会の祈祷会では、エゼキエル書2章3節から3章11節までを共に読みました。インターネットを利用したズームを使っての祈祷会で、参加者は皆自宅からの参加です。ノートパソコンに映る参加者の顔を見ながらの祈祷会です。

 エゼキエルは預言者に召され、神からイスラエルの民に語るように命じられます。イスラエルの民のことを神は「反逆の民」「反逆の家」と呼びます。

 BC6世紀前半、イスラエルはバビロンに滅ぼされました。国家が滅びたのは、イスラエルの民が偶像礼拝をし、不信仰に陥ったからです。イザヤ、エレミヤ、ホセア、アモスなどの預言者が悔い改めるようにイスラエルの民に語りましたが、彼らは悔い改めませんでした。神の裁きとして、イスラエルの国は滅びました。

 バビロンに滅ぼされたとき、イスラエルの重立った人たちが捕囚となってバビロンに移り住むことになりました。そのイスラエルの民にエゼキエルは語ることになります。「彼らが聞き入れようと聞くのを拒もうと、あなたは語りなさい」と神はエゼキルに命じられました。

 この箇所を読んで、私は自分の感想を話しました。彼らには聖書がありませんでした。神への信仰を貫くための支えとしての聖書がなく、安息日毎に礼拝をすることもないので、信仰を貫くことはむずかしいのではないか、と。私たちには聖書があり、聖書を通して神の御心を知り、聖書から励ましや慰めを受けることができます。聖書に親しみ、しっかり信仰に歩みたい、と。私自身は、自分は信仰深いと考え他者に対して不信仰だとの批判はしてはならないと肝に銘じました。

 聖書を読めることは決して当たり前のことではないと気づかされ、感謝でした。

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